ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

土に産れ土に還えり先覚の・・須永好 (15)

2012年10月23日 | 須永好 研究

他界の年となった昭和21年(1946年)の須永好の日記からご紹介します。

1月1日 マッカサー元帥の声明・・要すると自由と責任、権利と義務を明らかにしたものである。民主主義国家建設の重大責任を銘記しなければならない
1月4日 戦争犯罪人の追放令が出る。敗戦以来急に民主主義顔した偉い人が慌てる。
2月6日 野坂参三、伊藤律の両君、日農(日本農民組合)結成に就いて懇談する。「和」に徹するなら何事も問題ないと言ってやる。
3月23日 小泉映画劇場にて各派立会演説会。
5月31日 円形の脱毛症にかかり治療を始める。

健康だった須永好が円形脱毛症になる。7月5日には名刺入れや鉄道パスを車中でスリに盗まれる。決して隙のある人物ではない彼が盗難に遭うとは、次第に体調に変化があったとしかおもわれない。

9月10日 国会で農地制度改革案について代表質問、その直後に倒れる。
9月11日 午前4時、東京の寄宿先で死去(死因:脳溢血)

地元、上毛新聞などにはポポロ(人々)の追悼歌が掲載されました(完)

●一すじに農民の為に戦いし 五十三の生の尊さ
●死の前に議政檀上に「農革」を 本気やれと迫りたる声
(菊池養三輔)

●土地に産れ土と戦い土にかえる 一すじの道を行きし君はも
(中村高一)

●同志等とふと覗いたる食堂に 君の讃える乙女の居たるも
(吉川兼光)

●農民の父と仰がれ幾年を 苦闘に満ちし君ぞ今はなし
●土に産れ土に還えり先覚の 墓標ぞ仰ぐ秋風たちて
(川島金次)

【写真】須永地蔵尊(群馬県太田市立生品小学校のホームページから

ご参考:「まんが太田の歴史」(太田市のホームページから)

  【須永好、すながこう】1894-1946 群馬県旧強戸村生。旧制太田中を中退後農業に従事するかたわら農民運動に携わる。郷里強戸村を理想郷へと農民組合を組織しわが国初の革新自治体“無産村強戸”を実現。戦後は日本社会党結成に奔走、日本農民組合初代会長 衆議3期(戦前戦後通算)。

 

    未完の昭和史

元衆議院議員 (須永好の孫)須永徹著

日本評論社

にほんブログ村 群馬県情報

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする