ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

座頭市は上州人だった

2012年06月04日 | 映画・芸能

「全盲の弁護士、大胡田誠さん」に続いて、今日は全盲の任侠「座頭市」について取り上げます。1962年から映画化された『座頭市』シリーズを今、見始めています。

座頭市:「テメー達はそれでも人間か。自分の懐(ふところ)さえ温ったければ、他人の子はどうなっても、かまわねぇーっていうのかい!」

悪人共:「それがワシらの稼業だ!」

これはシリーズの『座頭市血笑旅』の中で刺客を前に啖呵を切る市のセリフ。ふとしたことから市の身代わりになって死んだ若い母親の残した赤ん坊を育てながらの旅暮らし。「テメー達はそれでも人間か。自分の懐(ふところ)さえ温ったければ、他人の子はどうなっても、かまわねぇーっていうのかい!」の言葉を聞いた時、私は思わず原発推進派・誘致派を連想してしまった。原子力マネーをたんまり懐に入れさえすれば、後々に子どもたちが放射能でどんなに苦しもうが知ったことではない、ってことに通じると思った。

忠治を尊敬していた座頭市

座頭の市さんの生まれは上州笠間となっている。「カサマ」の郷は木枯し紋次郎の三日月村と同じで架空の地名だろう。ただ原作者は市を上州(群馬)の侠客としたことは確かだ。物語の中で、国定忠治の大親分も登場する。生涯、十手は持たず悪代官(公権力)に屈しなかった忠治は、座頭市の尊敬する「任侠の師」。座頭市も忠治に負けず劣らず悪代官、悪奉行に対しても正義の剣をゆるめることはない。そこがまた痛快なのだ。

『血笑旅』では、赤子のおしめを替え、おしっこを顔に浴びながら“育児パパ”に徹する座頭市(勝新太郎)=写真。何も出ない男の乳を与える健気な剣豪座頭市の別の顔が笑いを誘う。私が中学生の頃の作品集を今、あらためて鑑賞している・・。

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コメント (4)
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