ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

Oldies(2) LIVIN'ON A PRAYER Bon Jovi

2010年02月18日 | 愛しのオールディーズ
「今度、すごいビッグなバンドとのCM契約が決まりました。聞いて驚きますよ!」
東京支社で、若い宣伝部の男性社員が興奮気味に、こっそり耳打ちしてくれた。

「ボン・ジョヴィ!」

グループ名を聞いても、それまで私はそのバンドをまったく知りませんでした。
群馬の広報マンとしては、ここで遅れをとってはならないと思い帰路、さっそく秋葉原でボン・ジョヴィのVTRを一つ土産代わりに買って帰りました。

夜遅く帰宅して茶の間のテレビですぐに再生。私の横には長女がいました。今も“潜伏中”の苦節歌手、桂宏美、当時中学1年生。

「何々これが今、全米NO1のバンドだってかぁ~」と私は最初、さほど感動もせずに見終えました。
しかし、これに衝撃を受けたのは、横で聴いていた長女だったとは、その時は気付きませんでした。
翌日からボン・ジョヴィの曲が長女の部屋からガンガン聞こえてくる。
「LIVIN'ON A PRAYER」や「BAD MEDICINE」「RAISE YOUR HANDS」などなど。CDも何枚も揃えた。おかげで家中、みんなの耳がすっかりボン・ジョヴィの曲を覚えさせられてしまった。どちらかというとソフトロックが好きだった私も、長女の影響、ボン・ジョヴィの影響ですっかりハードロックの洗礼を受けてしまったかたちでした。

わが家では「ボン・ジョヴィ」というと別名、末っ子の着ていた半纏(はんてん)のことを指します。半纏の絵柄が星条旗のデザイン模様で、それがボン・ジョヴィ一行が初来日していたとき、飛行機のタラップに現れた彼らが着用していたものと良く似ていたから。それからは、末っ子の半纏を家族みんなが「ボン・ジョヴィ」と呼ぶようになりました。
「さっちゃん、きょうは寒いからボン・ジョヴィを着なさい」というような感じで。

ボン・ジョヴィの熱いサウンドとともにSANYO Heat Beat'89のキャンペーンでは重低音ステレオコンポ、ダックス犬型U4やヘッドフォンJJなど東京三洋製品が、市場では善戦していました。

代表作「LIVIN'ON A PRAYER」のタイトル直訳は「祈る人として生きている」
昔、トミーは港湾で働いていた。組合がストライキを続行中。彼は運に見放されていた。
辛い話だよ。とっても・・♪
ラブソングというよりは、ゴスペルに近い生活歌。



【写真】1989年春。三洋電機東京製作所北専用門に飾られたボン・ジョヴィの
    大型広告とわが家の小さな“ボン・ジョヴィ”たち


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Bon Jovi - Livin' On A Prayer


コメント (1)
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