ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

【中学下宿記】(2) 三洋電機構内で迷子に

2009年09月17日 | 中学生下宿放浪記
初めて母が勤める大泉町の東京三洋電機を訪ねました。
前橋駅から伊勢崎までは両毛線、伊勢崎から東武線。太田で
また乗り継いで行く。東武線に乗ったのは初めてでした。

西小泉駅には売店があり、民家も多くそれなりの賑いでした。
しかし、それから徒歩で三洋東門までの距離が長く感じられ
ました。門で守衛さんに女子寮に行く道を教えてもらったの
ですが、特徴のない大きな建物ばかりの構内。とうとう迷子に
なってしまい泣きべそをかくはめに。だがちょうどその時、
さきほど話をした守衛さんが自転車でやってきました。
守衛さんは交代どきだったのか、それとも私が気になったの
でしょうか、ともかく自転車の後ろに乗せてもらいなんとか
女子寮に到着しました。緊張が解けてやっと母に会えたことで
早くも涙が・・

一昨日、洋友会(三洋のOB,OG会)で東京製作所見学会があり
ましたが、今では、構内は自宅のようにすべて知り尽くして
います。しかし初めて訪れた人には、大人でも戸惑う広い工場
敷地だと思います。
米軍占領下では、正方形の構内を、兵士たちは母国にたとえ
カルフォニア通り、フロリダストリートなどと命名していた
ようです。
旧後楽園球場60個、甲子園球場40個に相当する面積ですから、
小学校を卒業したばかりの中学生にとっては、見たことのない
大きな白い怪物のような建物のジャングルに感じました。

構内にはまだ、米軍が使用していた形跡が残っていてところ
どころに英文の注意書きがありました。買ったばかりの英語
の辞書で一つひとつ意味を調べたものです。
なになに?寮の階段の文字は・・
「雨の日はスリップに気をつけよ」など。

前橋から大泉、さらに徒歩で延々行進。入った構内はなんだか異国のよう。
母はずいぶん遠く変わったところで働いているのだな、と思ったものです。
(つづく)

【写真】当時の正門に掲げられた会社案内図。愛機のマミヤ35Sで撮る。

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コメント (9)
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