ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

《再読》「東京三洋電機」 50周年の記念日に

2009年07月14日 | 研究・書籍
きょう7月14日は、旧東京三洋電機の誕生日。1959年→2009年 
ちょうど50年目、半世紀に当たります。

三洋電機との合併直前1986年11月発行の『東京三洋電機』。副題は
“菊づくり経営”で拡大。
今井伸著(朝日案内コミュニティ出版事業部発行)を、創業日の今日
読み返してみました。

当時社員数1万5千人。テレビ工場からスタートし設立4年目で東証1部に上場。
東京三洋の社風は、「役員、一般社員を問わず言いたいことは何でも言える」
「風通しが良い」「さっぱりした気性」「開放的」など企業が大きくなると
失われがちなものが不思議に東京三洋にはあった。これは群馬県の県民性
そのものとの相通ずる、と地域風土に根ざした企業として高い評価されて
います。

著者の今井伸氏は、取材時は毎日新聞発行「エコノミスト」編集部員。
その後、同誌編集長になっている。群馬西毛の生まれで高崎高、早稲田出身。
同郷人として東京三洋を見つめる目は優しく、合併によって群馬県一企業が
登記上とはいえ消え去ることを深く惜しんだ書き方をされている。
今井氏自身、中学時代に就職進路指導の先生が「就職するなら東京三洋か
富士通がいいぞ」と生徒たちに話したという。両社とも創立間もない会社で
急成長を遂げているからだ。同級生の女子2名が“トランジスタ娘”として
東京三洋に就職した。

思えば、富士通は母体の富士電機とは別の道を歩む。反対に東京三洋は、
孝行息子?で親(三洋電機)のふところに舞い戻る。生き方としては実に
対照的な結果となりました。

本書の発行は、学生の会社選択のリクルート用のほかに広く世間に向けて
社名は消えてしまうが27年間の菊づくりで培ったエクセレントカンパニーの
「東京三洋電機」の存在をしっかり記録に残しておこうという意思があり、
上司の今泉昭則広報課長(当時)の命を受けて取材協力をしたものです。
巻末に著者のことばで「黒子役となった社長室の東野、矢野、今泉、桂の
各氏」とあるのが、今もわたしの「小さな誇り」になっています。


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