ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

タンゴ「碧空」の想い出

2013年05月07日 | 愛しのオールディーズ

初めて親に買ってもらったレコードが「碧空」(あおぞら)。

まだ小学校入学前だったような気がする。前橋市の中央オリオン座通りあったレコード店「三界堂」(=さんかいどう、今は無い)前で欲しいレコードがあると母に言うとさっそく店内に入る。お店の人に「ボクは、何という曲がほしいの?」とやさしく聞かれ下を向いたまま小さな声で「あ-お-ぞ-ら」とつぶやく。ラジオから流れていて気に入った曲だったのでしっかり名前は覚えていた。

「ヘエ~!!」と居合わせた店員さんたちが顔を見合わせてびっくりした。母は店員さんたちに何やら褒められた様子で満足そうな感じだった。こども心に何か良い曲を選んだようで得意な気持ちになっていたのを思い出します。

久しぶりにそのとき買ったSP盤レコード=写真=をよく見ると、Barnabas von Geczy and His Orchestra の演奏とある。指揮者のBarnabas von Geczy はハンガリー・ブタペスト生まれ。ドイツの楽団だった。私はこの曲がずっと好きで「アルフレッド・ハウゼ楽団」によるLPドーナツ盤も高校時代に入手した。「碧空」の碧の文字はすぐに書けないし読めない。英語名はBlue Heaven (碧い天国)。

You Tube とWikipedia のお陰で瞬く間にルーツが調べることができる。B面は「奥様、お手をどうぞ」、この曲も擦り切れるほど聴きました。

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Barnabas von Geczy_"Blue Heaven - Tango" 碧空

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僕が64歳になっても・・When I'm Sixty-Four

2013年02月24日 | 愛しのオールディーズ

今夜、友人の訃報を受けました。前橋の中学時代からの親しい友人N君。懐かしい妹さんからの悲しい電話でした・・。

ポポロ開園以来の友の昇天

東京在住。「ポポロの広場」にとってはスタートからの来訪者(愛読者)であり住人です。当方が毎回アップするに当たり、自然と目を通していただける人達を思い描いてしまうものです。テーマ別によってもその都度対象は変わりますが、しかしN君はどの話題でも必ず読んでいてくれているだろうと確信がありました。広場へ直接のコメントこそありませんでしたが賀状とメールの交信でも、わずかな添え書きから熟読してくれていることが分かってうれしかった。実際に会っていなくても、ポポロの広場でお互いが同じ時間を過ごしているような感じでした。

中学校2年、3年と同じクラスでしたが、その後も結びつきは強く長かった・・。N君も私もアメリカンポップスが好きで、レコードの貸し借りも頻繁にしました。彼が特に好きだったのはトーケンズの『ライオンは寝ている』。昼休み、この曲を歌いながら私のところに近寄づいてきた彼の姿が今でも思い浮かびます・・。
悲しき街角』でヒットしたデル・シャノンも二人の共通のお気に入りのシンガーだった。

彼の他界の知らせに接し、なぜか今夜はビートルズの「 When I'm Sixty-Four (僕が64歳になっても)」が聞こえてきます。行年64歳のN君の旅立ちに謹んで捧げます。


【歌詞の一部から】
僕に葉書をよこし、一筆したためてください
思ったことを言いながら
正確に言いたいことを表してくれよ
答えを用紙に書き込んでね
とわに僕の君

Will you still need me
Will you still feed me
When I'm sixty-four
まだ僕を必要だと思ってくれるかな
まだ僕の食事の支度もしてくれるかな
僕が64歳になったとしても

The Beatles - When I'm Sixty-Four

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森高「渡良瀬橋」の八雲神社焼失

2012年12月11日 | 愛しのオールディーズ

寒い冬のこの時期になると森高千里の「渡良瀬橋」を時々口ずさんでしまう。この曲を初めて聴いたのは足利の美術館で売られていたオルゴールからの音色でした。「いい曲だなあ~」何かのクラシックの名曲かとも思いました。その後に森高千里作詞による彼女のヒット曲であることを知りました。情緒豊かな地方都市、足利市の良さが描かれていて森高の曲の中では一番の傑作と私は感じています。

曲の中で歌われている「八雲神社」が、9日に不審火?で全焼してしまいました。総選挙も控え、例年になく気忙しい師走の日に、何か不吉な予感がしなくはありません。

【写真】下野新聞オンラインNEWSから

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森高千里 【渡良瀬橋】 Chisato Moritaka / Watarasebashi

 

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Happy Halloween 2012

2012年10月30日 | 愛しのオールディーズ

1年経つのは実に早いですね・・。

昨年3.11以降、人類は時限爆弾を抱えた状態であることを認識しました。

私のハロウィンは、“地獄(Hell)の使者”Helloweenの曲を聞くのが定番です。

「クリスマス、寺も神社もケーキ食い」(乱鬼龍)のよろずの神のこの国では、

“ハロウィン”もがっぽがっぽ食べちゃいましょう(笑)

【写真】玄関には今年も。 

【愛しの曲】娘の部屋からよく流れていた80年代、ドイツのバンドHelloween。

Helloween - Future World

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忌野清志郎も原発ノー

2011年04月08日 | 愛しのオールディーズ

チェルノブイリ後の1988年のRCサクセッションのアルバムから。

「サマータイムブルース」と「LOVE ME TENDER 」

サマータイムブルースは、これまで所属の東芝EMIからは発売できず、インディーズレーベルから世に出す。反原ソングを許容するほど原発メーカー、東芝には度量がなかったということか。

このとき日本の原発は37基(現在54基)。もし清志郎のダンナが今、生きていてこの福島の惨状をみたらどんなコメントをしたものか、聞きたかった。

「電力はいらねぇ~電力は余っている」に疑問を感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、それについて一言。

日本の発電量は、今でさえ原子力に負っているのは20%台。原子力は小回りがきかず、フル稼動か止めるしかない。需要の変化に合わせて上げ下げできないという大きな弱点があります。決して他の発電設備が能力がないのではなく、原発をフル出力で動かすしかない。そのため天然ガス、石炭、石油、水力などの他の発電所は、電気を作らせてもらえず遊んでいる状態です。また原発はクリーンかといえばそうではありません。稼動に当たって準備、後始末等に多大な化石燃料の使用を前提としています。つまりこの歌詞に誤りはないということになります。

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RCサクセション サマータイムブルース~LOVE ME TENDER

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愛しのLANA

2011年03月06日 | 愛しのオールディーズ

きょう、しばらく会っていなかった友人が突然訪れた。

高校受験の会場で知り合ったときからの親しい友人。

時間の経つのも忘れて近況を交換し合った。

彼が帰ったあと、教室でOh La~a,la la lana とふざけあったときの曲の記憶が・・

The Velvetsの「いとしのLANA」。(YouTube)

この米国のコーラスグループ、ヴェルヴェッツは当時、高校の先生と教え子たちで結成。そこがまた身近に感じられた。

歌詞も分かりやすい単語の連続で高校生の英語のヒアリング向き。

DooWap(ドゥーワップ)という爽快な黒人音楽の曲調でもありました。

友、遠方より来たる。。

 

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ハロウィン2010

2010年10月31日 | 愛しのオールディーズ
今日はハロウィン♪
Halloweenのこの日はHelloweenの曲を聞くのが定番です。

ドイツのバンドはHelloween。
HallでなくHell(地獄)というのが、いかにも“魔”なかんじ。

「クリスマス、寺も神社もケーキ食い」のよろずの神のお国、

ハロウィンも食べちゃいましょう(笑)

Helloween - Halloween (1987)


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「チェロキー」に謝罪 Oldies (7)

2010年06月11日 | 愛しのオールディーズ
「チェロキー」
アメリカ・インディアンの悲劇をテーマにした、スウェーデンのメタルバンド「ヨーロッパ」のヒット曲。私のお薦めの一つです。歌詞は「白人に裏切られ、もはや戻れる場所はどこも無い」という内容。

「ヨーロッパ」は1980年代、「The Final Countdown」がブレイクして日本でも有名になりました。ヨーロッパがわが家に“進出”してきたのは、当時高校生だった長女の影響によります。

ところでAP通信によりますと、アメリカは上下両院議会が5月19日、チェロキーなど米国内有力5部族に対して謝罪をしました。
「米国は欧州移民が建国したが、その際すでに数千年前からこの地に暮らしていたあなた方先住民を略奪し、悪意ある不利益な扱いをした」の決議文。

西部劇などでは、インディアンは突然奇襲する野蛮な悪役に描かれますが、立場を変えれば、事実はまったく逆な形であったことがうかがれます。
この謝罪ニュースに接し、あらためて「チェロキー」を聴いてみました。

【写真】ヨーロッパのCD

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Europe - Cherokee


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「悲しき少年兵」 Oldies(6)

2010年05月28日 | 愛しのオールディーズ
A few months back, a young man
Who had just reached seventeen
Waved “Good-bye”to the girl he loved
He had become a Marine.

この曲「悲しき少年兵」は何度も何度も擦り切れるほど聴きました。
歌詞の中の主人公の少年兵と自分が同じ17才だったこともあって。

英語の勉強を兼ねて、辞書で単語の一つひとつを訳しました。
「Marine」は海兵隊員、というのはこの時、覚えました。

♪ガールフレンドを残して外地に出兵したけれどいつも彼女の写真を手から離さず・・やがて長い航海が終わり、波止場に戻ってきたが、お迎えの人々の中に彼女の姿は無かった。。さいごに聞いた彼女の甘いささやきだけが耳に残る~♪

今、普天間基地問題で、アメリカ海兵隊がどんな組織でいかなる任務をもった軍隊なのか詳しく知るところとなりましたが、そのころはアメリカのカッコいい精鋭部隊というイメージで、ただただ憧れていました。

このレコードは、大泉町の松本時計店で買いました。同店では一時期レコードも扱いました。そのお店も今では姿を消してしまい、ちょっとこの曲のような淋しさを感じます。


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LONELY SOLDIER BOY / JOHNNY DEERFIELD


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Oldies(5) 「ロンリー・ギター」 (ザ・サウンズ)

2010年04月26日 | 愛しのオールディーズ
少年時代、私はビートルズやベンチャーズよりもヨーロッパ、とりわけ北欧のあっさりしたソフトロックのバンドが好みでした。中でもフィンランドのザ・サウンズには魅せられました。

ちょうどその頃、世界史か地理の教科書で、「フィンランドは東方の人種も混じっている“人口島”」という記述がありました。確かにザ・サウンズのレコードジャケットの青年たちを見るとアジア的な顔つきの人もいるな、と思い親しみを感じました。しかしこの「人口島」は今では死語。Web検索でもありませんね。大半のウラル・アルタイ系フィン人が多様だったのを「人口島」と一時期、称したのだと推測されます。
同じく「ザ・サウンズ」の名も、さすがのYou Tubeでも一曲しか見つかりませんでした。お目当てのヒットナンバー「ロンリー・ギター」は無し。You Tubeの大海でも・・。参考までに「ロンリー・ギター」と似た感じの「さすらいのギター」をアップしておきます。

「ロンリー・ギター」は、三洋男子寮暮らしの時、同室のクラシックファンのE君がこの曲を聴き、「う~ん。。ロックも良いですね」と言わせしめた曲。
さすらいの旅を行く若者の気持ちをさみしいギターの旋律が独身時代の私たちのこころをとらえたものでした。

余談ですが、フィンランドという国は面白い歴史を持っていますね。どうも電気通信メーカーのノキアのイメージが最近では強いですが(笑)
帝政ロシアが革命で倒れた1917年にロシアから独立。第二次大戦中には、なんと枢軸国側に付きソ連を相手に戦い破れ、戦後はやむを得ずソ連に寄りながらもワルシャワ条約機構には加わらず、非同盟中立政策を採ってきました。今はEU、ユーロ加盟国。興味の尽きない国のひとつです。


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さすらいのギター (ザ・サウンズ)


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Oldies(4) 「ジャンゴ」 ザ・クリフターズ

2010年03月21日 | 愛しのオールディーズ
この曲「ジャンゴ」は、やはり中学生のころ前橋市内の楽器屋で薦められたものです。いつものように店に入ると待っていたかのように私の顔を見るなり、店員さんが
「ものすごくいい曲が入荷しましたよ!」

客が他に居なかったこともあり、さっそく店内に響き渡る大きなスピーカーでボリュームいっぱい聞かせてくれました。レコードコーナーの若い女性店員さん、二人とも、
「この曲はぜったいヒットする」と興奮気味に太鼓判。

じつはその時、この曲を聞いてもすぐには店員さん達の言うように大ヒットするとは思いませんでした。でも彼女たちの熱気が伝染して、レコードは買ったのです=写真。

A面の「ジャンゴ」よりむしろ、B面の「アマポーラ」の方が気に入りました。
ただデンマークのコペンハーゲンのバンドというのがエキゾチックな感じを持ちました。
レコードジャケットの5人は、ハンサムで上品。

「ジャンゴ」は、ヨーロッパでは爆発的な人気を得たようなのですが、日本ではまったく・・
後日、店を訪れると店員さんたちが私に視線を合わせられず申し訳なさそうにうつむいていたのが思い出されます。それにしてもYou Tubeでこの年になってクリフターズにお目にかかれるとは思ってもみませんでした。

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The Cliffters


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Oldies(3) 「小さいあくま」二ール・セダカ

2010年03月05日 | 愛しのオールディーズ
中学2年生にとって、当時350円のシングルEPレコードは安くなかったですね。
それでも、時々何軒かあった前橋市内のレコード店に顔を出しました。

それにしても文字だけの地味なジャケットです=写真。
その頃、ニール・セダカという歌手は「恋の片道切符」や「おお、キャロル」などのヒットで声は聞いていましたが、どんな顔をしているのかは、まったく知りませんでした。もっともどんな顔の人かは気になりませんでした。

この「小さいあくま」の歌詞は

あなたは誰かが、つかまえようとするとすると、いつも逃げてしまう。意地悪で相手を振ってしまう、だけどボクはへっちゃら、あなたを天使にしてしまいたい、といったアップテンポのラブソング。
体格の良い友人のN君は「Hey Little DevilのDevilがどうも太った、“デブ”と聞こえてかなわん」と。

B面の「夢ごこちの恋」は英語でI MUST BE DREAMING。ちょうど習いたての英語でmust be~は「~にちがいない」・・夢を見ているにちがいない・・なるほど、と訳者に感心していたのを思い出します。

今では、You Tubeで簡単に二ール・セダカの顔も歌も見聞きできて、驚くばかりです。


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Neil Sedaka - Little Devil - Live


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Oldies(2) LIVIN'ON A PRAYER Bon Jovi

2010年02月18日 | 愛しのオールディーズ
「今度、すごいビッグなバンドとのCM契約が決まりました。聞いて驚きますよ!」
東京支社で、若い宣伝部の男性社員が興奮気味に、こっそり耳打ちしてくれた。

「ボン・ジョヴィ!」

グループ名を聞いても、それまで私はそのバンドをまったく知りませんでした。
群馬の広報マンとしては、ここで遅れをとってはならないと思い帰路、さっそく秋葉原でボン・ジョヴィのVTRを一つ土産代わりに買って帰りました。

夜遅く帰宅して茶の間のテレビですぐに再生。私の横には長女がいました。今も“潜伏中”の苦節歌手、桂宏美、当時中学1年生。

「何々これが今、全米NO1のバンドだってかぁ~」と私は最初、さほど感動もせずに見終えました。
しかし、これに衝撃を受けたのは、横で聴いていた長女だったとは、その時は気付きませんでした。
翌日からボン・ジョヴィの曲が長女の部屋からガンガン聞こえてくる。
「LIVIN'ON A PRAYER」や「BAD MEDICINE」「RAISE YOUR HANDS」などなど。CDも何枚も揃えた。おかげで家中、みんなの耳がすっかりボン・ジョヴィの曲を覚えさせられてしまった。どちらかというとソフトロックが好きだった私も、長女の影響、ボン・ジョヴィの影響ですっかりハードロックの洗礼を受けてしまったかたちでした。

わが家では「ボン・ジョヴィ」というと別名、末っ子の着ていた半纏(はんてん)のことを指します。半纏の絵柄が星条旗のデザイン模様で、それがボン・ジョヴィ一行が初来日していたとき、飛行機のタラップに現れた彼らが着用していたものと良く似ていたから。それからは、末っ子の半纏を家族みんなが「ボン・ジョヴィ」と呼ぶようになりました。
「さっちゃん、きょうは寒いからボン・ジョヴィを着なさい」というような感じで。

ボン・ジョヴィの熱いサウンドとともにSANYO Heat Beat'89のキャンペーンでは重低音ステレオコンポ、ダックス犬型U4やヘッドフォンJJなど東京三洋製品が、市場では善戦していました。

代表作「LIVIN'ON A PRAYER」のタイトル直訳は「祈る人として生きている」
昔、トミーは港湾で働いていた。組合がストライキを続行中。彼は運に見放されていた。
辛い話だよ。とっても・・♪
ラブソングというよりは、ゴスペルに近い生活歌。



【写真】1989年春。三洋電機東京製作所北専用門に飾られたボン・ジョヴィの
    大型広告とわが家の小さな“ボン・ジョヴィ”たち


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Bon Jovi - Livin' On A Prayer


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Old Fashioned Love Song 新シリーズ始めます(1)

2010年02月12日 | 愛しのオールディーズ

「中学生下宿放浪記」につづき新しいシリーズを掲載いたします。
古いレコードケースから、主にSP、LP盤を中心に毎回1曲を選んでご紹介いたします。みなさまもお手持ちのレコードには、きっと1枚1枚に思い出があることでしょう。レコード紹介とともに、それにまつわる想い出をお話しします。

第1回は、このシリーズ名のヒントともなりました、ラジオから流れる古い恋歌~♪
『An Old Fashioned Love Song』Three Dog Night


さてその前に、レコードを再生するのにプレーヤー機器が老朽化してしまい戸惑います。
レコード→カセットテープ→CD、MD、最近では「ネット配信」・・と音楽を聴くツールは、めまぐるしく進化を遂げました。

いま、わが家の音楽音源を棚卸しをしてみますと、幼児のころの子守唄、童謡から始まり、捨てるに捨てられないかなりのレコードがあります。

昨年末、20年以上前から使っていたミニコンポステレオ(三洋WO)を「でんきの修理屋さん」に持って行きましたが、交換部品がないということで廃棄しました。

今、SP(78回転)EP(45回転)LP(33回転)レコードを聴くことができるのは、唯一、ポータブルのプレーヤー=写真=のみ。改めてこのプレーヤーをよくよく見ましたが、機種名や製造番号など見当たりません。「SANYO」のロゴもかなり古い。40年位前の製品かもしれません。「potable phonograph」の文字しか判らない。あまり使わなかったせいか、きれいです。
最近では、動画サイトYouTubeなどで懐かしい曲が簡単に聴くことができます。これではますます古いレコードの出番はなくなります。

さて「An Old Fashioned Love Song」はスリー・ドッグ・ナイツのヒット曲名。日本ではペドロ&カプリシャスの初代ボーカル、前野曜子がカバーリングしていました。
この曲の入ったドーナツ盤を購入したのは、1973年6月17日、熊谷市の加藤電器、500円。会社の生活にも慣れ、今はショッピングセンター街と化した男子寮を退寮した直後。坂田の新居にて、東京三洋ステレオ工場製の当時最先端、マルチアンプ仕様のOTTOで聴きました。同曲はFEN(米軍極東放送、現AFN)からも良く流れていました。ベトナム戦争末期、時代は高度成長、しかしどこか虚無感の漂う世相でもありました。

スリー・ドッグ・ナイツのグループ名は「豪州の先住民族アボリジニは、厳冬の夜は3匹の犬と寝て過ごす風習」から命名したと言います。

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Old Fashioned Love Song  / スリードッグナイト

 

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