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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■日本の最初の牧師 澤山保羅 / 岩井基雄

2018年10月29日 | Weblog
2018/9/24放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
 第四週の月曜日は歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいますが、今日は日本の最初の牧師として歩んだ澤山保羅(ぽうろ)について学んでみましょう。

 澤山保羅は幕末、長州吉敷毛利家の家臣の長男として生まれ、本名は澤山馬之進です。 ごう校である憲章館で学び、14歳の時には良城隊の鼓手として幕長戦争にも出陣します。明治維新後、洋楽修行をめざして出た神戸でグリーン宣教師と出会い英語を学ぶと共に初めてキリスト教に触れる機会を得ました。

 そして20歳の時、アメリカのノースウェスタン大学の予科に留学をし、滞在先の家族と教会へ通う内に自分の罪深さを認め、イエス・キリストを自分の救い主として信じ、クリスチャンになります。健康を損ない、闘病生活を送る内、教会の人々に心を支えられ、愛を受けたということも大きかったようです。やがて日本で伝道活動を行なっていた別のアメリカ人宣教師から、日本での宣教のチャレンジを受け、澤山は伝道者として生きることを決意し、24才で帰国の途に着いたのです。

 帰国した澤山は明治10年に日本初の自給教会・浪速公会を設立し、日本で最初の牧師となります。澤山自身も診療所で働き、教会費自給による運営を試み、日本組合教会の基盤を作りました。そして翌明治11年には、日本の将来の母となる女性をキリスト教精神に基づく教育によって育成しようと、同郷の後輩・成瀬仁蔵の協力を得て梅花女学校を設立したのです。

 澤山はその後も愛を届ける働きに情熱を傾けましたが、明治20年、肺結核のため34年の短い生涯を閉じることになりました。新島襄は人の愛に生きた澤山を、「日本のジョージ・ミュラーである」と述べました。

 最後に、現在、梅花学園のスクールモットーとなっている澤山の愛唱の聖書のことばをお読みします。
 
 「ですから、人からしてもらいたいことは何でも、あなたがたも同じように人にしなさい。これが律法と預言者です。」 新約聖書マタイの福音書 7章12節 (新改訳2017)

 私たちもまた、キリストの愛に生かされ、愛を届けるものとさせていただきたいですね。

 (PBA制作「世の光」2018.9.24放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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