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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■クレネ人シモン/板倉邦雄

2016年03月23日 | Weblog
2016/3/23放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「クレネ人シモン」という題でお話ししましょう。
 
 「彼ら--ローマ兵士--がイエスをひいてゆく途中、シモンというクレネ人が郊外から出てきたのを捕えて十字架を負わせ、それをになってイエスのあとから行かせた。

 ルカの福音書23章26節(口語訳聖書)

このクレネ人シモンはイエス様の十字架の苦難を目撃しただけではありません。イエス様に代わって重い十字架の木を担うことになりました。人生には上り坂、下り坂そしてまさかの坂がある、とよく言われます。クレネ人シモンにとってはまさかの坂ではなかったでしょうか。シモンは現在のリビアの国クレネの町から巡礼のためユダヤの都エルサレムに来ていました。年1回の過ぎ越しの祭りに参加するためです。敬虔な神様を信じる人物でした。ところがエルサレムの都に入ってみると、群衆が細い道に並んで大声を上げたり泣いたりしている人々をシモンは見たのです。何だ何だ?、と群衆をかき分けて前に出ると、まだ若い30代の人が棘の冠をかぶり、自分がかかる十字の木を背負って歩いて来るではありませんか。周りには頑強なローマの兵士たちが取り囲んでいました。ところが、シモンの目の前に来ると十字架を背負った囚人がばったりと倒れたのです。「ほら起きろ。」と言ってローマ兵の鞭が囚人の背中に振り降ろされました。しかし立てそうもありません。ローマ兵の1人が突然、前列にいた背の高くてがっちりしたシモンに目を留めたのです。「おい、お前。この囚人の十字架を担げ。」と無理やりにイエス様の十字架を担ぐはめになったのです。シモンはゴトゴトと十字架を引きずりながらイエス様の後について行きました。何で楽しいはずの祭りの日にこんな目に遭うんだ?、とシモンは思ったことでしょう。しかし著者のルカが「シモンというクレネ人」と書き残すことができたのはシモンがこの出来事の後、キリスト信者の一員になったことを私たちは知ることができるのです。シモンはイエス様の十字架刑にも立ち会ったのではないでしょうか。

 イエス様のことばです。
 「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
  ルカの福音書9章23節 (口語訳聖書)
 
 (PBA制作「世の光」2016.3.23放送でのお話より )

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