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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■主の祈り-52 アーメン  /  大嶋重徳

2016年06月07日 | Weblog
2016/6/7放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
聖書にはイエス・キリストが私たちに教えてくださった「主の祈り」という祈りがあります。主の祈りは、「アーメン」ということばで祈りを終えます。

 「アーメン」とは、祈りが終わった合図のように思っていたことがありました。教会の礼拝の祝祷で全員がアーメンと言えば教会堂から飛び出して遊びにって良い合図でしたし、食事の前の祈りのアーメンはもう食べていいよの合図でした。「アーメン」と「いただきます」とは同時に言ったものです。しかし「アーメン」には終わりの合図ではなく、「その通りです。今祈ったことは確かにそうです。偽りはありません。」と言う意味があります。アーメンとはことばの確かさを保証する意味があるのです。

 しかし、私たちは自分がお祈りしたことばを「その通りです」と言えるのか?、と問い直すと途端に不安な気持ちになってきます。祈った後、自分は祈った通りに生きていけるのか?、というと祈りからほど遠い生活を繰り返してしまう自分が目に見えているからです。その時、アーメンは実現不可能な不確かな決意表明に過ぎなくなります。アーメンということばは祈りのことばだけで用いられるのではなく、ことばの最初に、アーメンと始めることがありました。イエス様が「アーメン、アーメン」と始められるとき、「まことにまことにあなたがたに言います。」という意味で使われました。つまり、「今から語ることばは確かなことであり、真実なのです。」と神の側の確かの保証を与えることばとして用いられたのです。つまり本来、アーメンとはイエス様だけ用いることができることばの確かさがあり、人間にはとても言うことできない神のことばなのです。

 しかし、そのようなあなたの不確かな祈りの最後に、今日もアーメンと祈るそのアーメンのことばを教えてくださったイエス様が一緒にアーメンと言ってくださるのです。その時に私たちの祈りは実現不可能な不確かな決意表明ではなくなります。私たちの不確かな祈りに神様の確かさをもってその通りだとイエス様が一緒に言ってくださるのです。イエス様は一緒にアーメンと言ってくださる確かさに身を置くからこそ、今日も私たちはそのイエス様の確かさを信頼して、アーメンと祈ることができるのです。アーメンと言うとき、神様の真実が私たちと共にあるのです。

  ( PBA制作「世の光」2016.6.7放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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