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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■恵みのゆえに救われた / 関根弘興

2016年06月13日 | Weblog
2016/6/13放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 新約聖書エペソ人への手紙4章14節から。
 「それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、 むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。」(エペソ人への手紙4章14節、15節)

この手紙が書かれた当時、教会の中にはいろいろな教えの風が吹き荒れていたようでした。特に、イエス様を信じるだけでは不十分ですよ、きちんと戒めを守り、儀式を守ることが必要なんですよ、とたくさんの条件を付けるそういう教えがたくさんあったんです。しかし聖書は何と教えているでしょう。救いは人間の努力で得ることはできない、救いは100%神様の恵みによるのであって、人はその救いをただ感謝して受け取るだけでいいのですよ、と聖書は教えるんです。つまり人は自分でどんなに努力しても自分で自分を救うことはできないということなんですねえ。むしろ努力すればするほど自分の限界を思い知らされて結局は疲れ切ってしまうのではないかと思います。

 赤ちゃんは自分で努力して生まれて来るでしょうか? 違いますねえ。お母さんの想像を絶する痛みと保護の中で産み出されていきます。もし赤ちゃんが、僕は自分の努力で成長し自分の力で産まれてきたんだあ、と言ったらとても滑稽な話ですね。

 聖書が教える救いもそれと同じです。新約聖書のヨハネの福音書1章12節(、13節)には、
 「しかし、この方(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
 このように書かれています。

 私たちはイエス・キリストを単純に救い主として信じ受け入れた時、神様のいのちを与えられて神の子どもとして生まれたのだというんです。これは人の意欲や努力によるのではありません。一方的な神様の恵みの御業なんです。またエペソ人への手紙2章8節には、「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

 救いは愛なる神様からのプレゼントなんですね。その神様の愛を信頼し、そのプレゼントをただ喜んで受け取ること、それが信仰なんですね。

  (PBA制作「世の光」2016.6.13放送でのお話しより)

***

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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