世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。
えー、だいぶ前の時代劇・・・どんな題だったか忘れてしまったんですけれども、テレビでですね、こんなことがありまして、盲人の方で偉い位の人だったんですけれども、その人に殺人の疑いがまあかかるんですね。で、この犯罪は、この人がやったに違いないというふうなことなんですけれども、でもこの犯罪はどうしても目が見える人でないとできない犯罪だということで、まあ刑事ならぬ町奉行はもう行き詰まってしまっているんですが、ところでこの盲人の方は鯉をたくさん飼っているんですね。で、その鯉がドラマの節目節目で意味ありげにバシャンバシャンと跳ねるんですけれども、町奉行はハッと気がつくんですね。この盲人は実は本当は目が見えるんだったんだ。その目に鯉のウロコをはめこんで盲人を装っていたんだということに気がついた。で結局この人は御用になる訳なんですけど、目からウロコが取れて一件落着という話しなんですね。
まあこれは洒落にすぎませんけども、私たちの人生においても目からウロコならぬ心の目が開けられるという体験は貴重だと思うんですね。
新約聖書の多くの部分を書いたパウロという偉大な伝道者は、イエス・キリストの福音を伝える器となる前は、それとは正反対にキリスト教徒を迫害していたんです。それは、ただキリストの十字架を信じれば救われるというそんな馬鹿なことはない、人間は神の法律を守っていかなければ救われないんだというふうに思い込んでいましたからクリスチャンたちを迫害していたんですね。でもある時に、そのイエス・キリストに彼は出会ってですね、三日間、その非常の衝撃で目が見えなくなったんですけれども、その間ですね、そうなんだ人間はどんなに自分で頑張っても努力してもそれによって罪が赦される救われるということはあり得ないのだ、あのイエス・キリストの十字架はどうしようもない私たちの罪のための、あれが救いだったんだということが分かってですね、聖書の中にこう書いてあるんですが、目からウロコのようなものが落ちて、目が見えるようになったって、これは肉体的な目が開(あ)いたというだけではなくって、彼の心の目が開(あ)いてですね、それからもう人生観、生き方がまるっきり変わっていった訳なんですね。そして、このイエス・キリストを信じる以外に救いはないということを語った訳なんですけども、私たちの心の目が開かれて、私たちの救いのためにこそイエス・キリストの十字架と復活があるということを信じられたらすばらしいなあと、そう思うんです。
( PBA制作「世の光」2005.5.30放送でのお話しより )
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