世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。
「弁慶の泣き所」と言ったら向こうずねで、ギリシャ神話に出てくるアキレスの弱味は腱つまりアキレス腱であったと言われますね。共通して足に弱点があったというのも面白いんですけれども、いずれにしても世の東西を問わず、英雄豪傑と言えどもどこかに弱点を持っているものだという例だと思いますね。
普通私たちは何でも弱いよりは強い方が良くって、弱点などはない方がいいと考えがちですけども、しかし聖書には、「喜んで私の弱さを誇る」と言っている所があるんですねえ。これは、史上最大の伝道者と言われるパウロのことばなんですけども、彼によれば、弱さは恥ずかしいことじゃなくってむしろ誇りであるとさえ言っている訳なんです。で、これはもしもの事ですけれども、何の弱点も欠点もない人間が本当にいたとしたらどうでしょうかね。その人は、きっとその弱さや痛みや思いやることのできない冷血漢のような人間になってしまうかもしれませんねえ。弱さや痛みを知っていればこそ、人間は同じ弱点や欠点を持つお互いを理解し、思いやることができる人になれるんだと思うんです。ですから、弱点を持っていることは、悪いことなんじゃなくって、むしろ時に美徳とさえなりうると考えたいですね。
ただし大切なことは、自分の弱さを弱さとして率直に認める勇気ではないでしょうか。謙虚さや向上心は、本当は自分の弱さを率直に認める所からだけ生まれるものだろうなと思います。ですからパウロが喜んで私の弱さを誇るというのはキリストの力が私を覆うためだというふうに言っているんですね。なぜなら、自分の弱さを知れば知るほど人は神に近づき、神の助けを真剣に求めるようになってですね、そして神様から十分な赦しと癒しとそして力とを受けることができるということを彼は知っていたからだと思います。
そして知っていただきたいことは、あの一見弱く見える弱さの極みとも見える十字架ですね。実は私たちの弱さゆえのすべての不始末、すなわち罪をまったく解決するためにこそイエス・キリストはそこに身を置かれたんだということ、そして復活によってその大能の強さをいかんなく発揮されたということなんですね。まさに、弱さから強さへのどんでん返しをそこに見ることができる訳です。ですから私たちも、キリストを信じる時、私たちの人生にも弱さから強さへのどんでん返しを経験することができるんだということですねえ。弱さを率直に認めながら、そこでこそ本当の強さを経験できるということですねえ。
( PBA制作「世の光」2005.5.23放送でのお話しより )
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