2025/4/26放送
「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? グレース宣教会牧師、ハンガーゼロ巡回牧師の田村治郎です。
イースターの朝、イエスの復活の朝の出来事です。イエスが十字架で死んで葬られた墓に、三日目の日曜日の朝早く、マリヤはイエスの遺体に香油を塗ろうとやってきます。
しかし、到着して驚きます。何と墓の入り口を塞(ふさ)ぐ大きな石が取り除けられていました。恐る恐る中を覗くと、イエスの遺体も消えている。不当な裁判を受け、ゴルゴダの丘まで十字架を担いで歩かされ、最後は十字架で散々苦しめられたイエス。亡骸(なきがら)となった今でさえどこかに持ち去られるのか・・・。心乱れたマリヤは、悲しみのあまり泣く以外になかったのです。
そんなマリヤに御使が現れ声をかけます。「なぜ、泣いているのですか?」
それは嘆くマリヤに対してずいぶん冷たいことばに聞こえます。マリヤはイエスの遺体が何処かに行ってしまったことを説明し、こんな悲しいことがあるでしょうか、と訴えます。
しかし御使いだけでなく、マリヤの後ろに立たれるよみがえられたイエス自身が「なぜ、泣いているのですか?」と声をかけます。
マリヤには墓の管理人としか思えず、同じように泣きながら説明します。
愛するイエスが死んだだけでなく、その遺体までもがそこにはない、それはどれほどの悲しみと絶望でしょうか。嘆き悲しむ以外にそこに何があるというのでしょう。
それでもイエスは問うのです。「なぜ、泣いているのですか?」
この事実は、泣き悲しむことではなく、むしろ喜ぶべきことです。イエスの十字架の死は、そして、その墓が空っぽであることは、まさに死に勝利され、よみがえられた事実そのものなのです。死で終わりと思う人生に、永遠のいのちの希望に生きる新しい人生の始まりを、自らのよみがえり・復活を通して示してくださいました。
新約聖書ローマ人への手紙6章5節
「私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです。」
イエスを救い主と信じる私たちは、このイエスの復活と一つにされているのです。
「なぜ、泣いているのですか?」
むしろ大いに喜ぶべきことではないでしょうか。
( PBA制作「世の光」 2025.4.26放送でのお話しより )
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