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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■求めなさい /福井 誠

2025年08月06日 | Weblog

2025/5/7放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 今週は、15:52 2025/07/31 木曜日皆さんと新約聖書のマタイの福音書を読み続けています。著者マタイの語り口が皆さんの耳に響いてくる、そんなことを願っています。今日は「求めなさい」と題してメッセージをいたします。新約聖書マタイの福音書7章7、8節 をお読みします。

「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば、開かれます。だれでも、求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれます」

 このことばは、クリスチャンでなくても、一般的な人生訓のように覚えている方も多いことでしょう。
 確かに、読むと励まされることばです。ご利益があるような気すらします。
 ただ、聖書を読む時に大切なのは文脈です。そのことばが置かれている前後関係が重要なのです。

 そこで前後関係に注意しながら、このことばが何を勧めているのか改めて考えてみると、ただ単純に神に祈り求めよと勧めてはいないことに気づかされます。
 すぐ前に、「聖なるものを犬に与えてはいけません」とあります。
 つまり、みんなが大切に思っているものを大事にしないような人たちに渡してはいけない。傷つけられるのが落ちだ、と言うのですが、そのように分かっていながら、大切なものを渡し、大切にしてもらえず傷ついてしまった、ということはあるものでしょう。

 そのような時に、とイエスは言います。失敗に落ち込んでいないで、それを糧にして成長し前に進みなさい、求めなさい、と。また探し、叩きなさい、と具体的な行動を促します。

 ただ願っているだけでは物事は好転しない。具体的に動いて、探して、叩いてみよう。 行動することで、自分の目指すものも実現できるし、人生も変わるからです。手を動かして一歩踏み出してみましょう。


    ( PBA制作「世の光」 2025.5.7放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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■さばいてはいけません /福井 誠

2025年08月05日 | Weblog

2025/5/6放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 今週は福井 誠が担当しています。今日もマタイの福音書からイエスのことばを味わってまいりましょう。今日は「さばいてはいけません」と題してメッセージをいたします。新約聖書マタイの福音書7章1節、2節をお読みします。

 「さばいてはいけません。自分がさばかれないためです。あなたがたは、自分がさばく、そのさばきでさばかれ、自分が量るその秤で量り与えられるのです。」

 今日の聖書のことばを聞きながら、「『さばく』って何かな?」と耳をそばだてた方もおられるのではないでしょうか。「魚を捌(さば)くのかな? それとも何か裁判に関わることなのかな?」と一瞬考えられた方もいるかもしれませんね。
 確かに「さばく」ということばは特定の状況で使われることが多く、日常ではあまり耳にしないものです。しかしキリスト教会ではよく使われる単語で、いわゆる業界用語というべきものではないかと私は思うことがあります。

 「さばいてはいけない」 これは普通の言い方をすれば、「批判してはならない」、「厳しい言い方をしてはいけない」ということです。もちろん適切な批判や指摘が必要なこともあります。過度な批判、相手の気持ちを考慮しない指摘は止めましょうということでしょう。

 大切なのは、人間は過ちを犯しやすいものだ、と心得ることです。間違いを犯さない人などいません。人間としての弱さを意識できれば、相手の過ちを厳しく指摘するよりも、優しく理解を持って接することが大事だと分ります。そして建設的に自分の考えを伝える重要さもわかります。人が間違いを犯して(その人に)何か言わなければならないとしたら、ぜひ優しく語っていきたいものです。そうすれば、たとえ優しさが直ぐに返ってこないとしても、あなた自身の心も安らぐのです。


    ( PBA制作「世の光」 2025.5.6放送でのお話しより )


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■明日のことは明日が心配します /福井 誠

2025年08月04日 | Weblog

2025/5/5放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。しばらくぶりですが、リスナーの皆様お変わりございませんか? 今週一週間は私が担当しますので、新約聖書のマタイの福音書から共に読んでまいりましょう。聖書を読むことが楽しくなることを願っています。
 今日は「明日のことは明日が心配します」と題して、新約聖書マタイの福音書6章34節からお話をいたします。
 6章34節
 「ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。」

 最近、キリスト教会でも「マインドフルネス」ということばがよく聞かれるようになりました。マインドフルネスは、仏教・禅の修行がルーツで、今この瞬間に集中することを大事にします。最近ではビジネスの世界で集中力や作業効率を上げる能力開発に応用されています。医療の世界でも、ストレスを下げたり回復力をアップさせたりする治療目的で応用されるようになりました。

 マインドフルネスが注目される背景は様々ですが、その一つに現代の情報過多社会があります。
 皆さんもスマートフォンを使っていて思うことがあるでしょう。スマートフォンは仕事を効率化し、私たちの暮らしを飛躍的に便利にしました。しかしその反面、家に帰った後も仕事のメールを受け、自分の時間が失われるストレスがあります。隙間時間いわばボーっとしている時間すら奪って脳を疲れさせているとも言われます。こうしていつも何かが気になって心が落ち着かない人に、今ここに集中するマインドフルネスの手法は有効だと言います。

 イエスは「明日のことは明日が心配します」と言いました。それは言い換えれば、「今日一日のことに集中せよ」です。まさにマインドフルネスの手法と同じです。心配してもどうにもならないことはあるものです。過剰な心配は身の毒です。心配事は一つずつ片づける他ありません。今日できることに集中しましょう。


 ( PBA制作「世の光」 2025.5.5放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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■サイレントキラーに自覚症状を /水谷 潔

2025年08月02日 | Weblog

2025/5/3放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 愛知県春日井市にあります春日井聖書教会・協力牧師の水谷 潔です。
 
 昨日に続いて旧約聖書の詩篇119篇71節からお話しします。
 「サイレントキラー」ということばをご存知でしょうか。サイレントキラーとは、痛みや苦しみなどの自覚症状がないままで進行していき、気づいたときは致命的な合併症を引き起こしてしまう病気のことです。
 例えば、「沈黙の臓器」と言われる肝臓は、障害が起こっても、すぐには痛みや苦しみが伴わないために、肝臓病はとりわけ注意が必要とされています。

 詩篇119篇71節は言います。
 「苦しみにあったことは 私にとって幸せでした。それにより私はあなたのおきてを学びました。」

 「おきて」というと厳しい感じがしますが、聖書の中の「おきて」とは、神様が私たちの幸せを願って与えてくださる愛のことば・生きる指針です。

 少し前の67節には、「苦しみにあう前には 私は迷い出ていました。」とありますから、神様を離れ迷い出ていた詩人は苦しみを経験することで本来の歩みに立ち返ったようです。
 逆に言えば、苦しみを経験することなしには立ち返ることはなかったのでしょう。

 神様を離れて歩むその姿勢のことを聖書は「罪」と言いますが、それはちょうどサイレントキラーのようです。神様を離れて迷い出るような生き方をしても、必ずしも痛みや苦しみが伴うわけではありません。
 しかし私たちに生きる意味と目的と希望をお与えになる神様を離れた歩みは、やがて言いようもない空しさや絶望をもたらしかねません。

 神様は、サイレントキラーに侵されているような私たちを愛し、自覚症状を持つようにと、敢えて苦しみをお与えになることがあります。
 それは、人間本来の歩みに立ち返るようにという愛の危険信号とも言えるでしょう。

 ラジオの前のあなたは、今、何かの苦しみの中におられるでしょうか。もしかすると、その苦しみは、あなたが神様に立ち返り、本来の歩みを始めるためのものなのかもしれません。
 いつか振り返って、「苦しみにあったことは、私にとって幸せでした」と言える苦しみなのかもしれません。
 その苦しみを苦しみで終わらせないためにも、そのままで神様のところへ行きませんか? 


 ( PBA制作「世の光」 2025.5.3放送でのお話しより )


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■R30ラーメンとは? /水谷 潔

2025年08月01日 | Weblog

2025/5/2放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 愛知県春日井市にあります春日井聖書教会・協力牧師の水谷潔です。

 静岡県にある有名ラーメン店一番の人気メニューは「R30ラーメン」だそうです。「R30」というのは映画鑑賞の年齢制限になぞらえた名前で、「30歳以上限定」という意味です。つまり大人の味ということでしょう。絶品の塩ラーメンなのですが、その名前の由来はラーメンにトッピングされている二つの野菜にあります。一つはミョウガで、もう一つは緑の野菜です。それは何だと思いますか? それは春菊です。
 確かに大人の味のラーメンです。子どもたちの多くは春菊の苦みを美味しいとは感じませんが、大人になるに連れ美味しいと感じるようになります。それは人生においても同じでしょう。

 旧約聖書の詩篇119篇71節にはこう書かれています。
  「苦しみにあったことは 私にとって幸せでした。それにより私はあなたのおきてを学びました。」

 この詩篇の作者は、自分が体験した苦しみは幸せだった、と評価しています。その理由を、苦しみによってあなたのおきてを学んだからだ、と詩人は言っています。

 「おきて」というと厳しそうに聞こえますが、それは神様が私たちの幸せを願って与えてくださる愛のことば、人生の指針です。
 少し前の67節には、「苦しみにあう前には 私は迷い出ていました。」とあります。
 ですから、神様を離れていた詩人は苦しみを通じて神様に立ち返り、神様のことばに生きる幸せを回復したのでしょう。

 ある牧師は言いました。「クリスチャンの人生の目的は苦しみをなくすことではなく、苦しみを実りあるものとすることである。」と。神様を信じ神様と共に歩む中にも苦しみはあります。しかしその苦しみの多くは、実りをもたらす苦しみ、振り返って幸せだったと言える苦しみです。
 苦しみはできれば避けたいものです。しかし、苦しみのない人生が豊かな人生だとも言えないでしょう。ラジオの前のあなたもイエス様を信じて、苦しみのない人生に勝る、苦しみを実らせる人生、苦しみを振り返り、幸せだと言える人生を歩みませんか? 


 ( PBA制作「世の光」 2025.5.2放送でのお話しより )


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■誰の言葉で生きるのか? /水谷 潔

2025年07月31日 | Weblog

2025/5/1放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 愛知県春日井市にあります春日井聖書教会・協力牧師の水谷潔です。
 新約聖書ルカの福音書10章の38節から42節が記すマルタとマリヤの物語から、4回に渡ってお話ししていますが、今日はその4回目です。

 イエス・キリストの一行がマルタとマリヤという姉妹の家を訪れます。イエス様の一行をお迎えしたマルタは、もてなしを始めます。一方のマリヤはイエス様の足もとに座り、その語り掛けに耳を傾けていました。
 ところがマルタは忙しさの中、マリヤがもてなしをしないことに苛立ってしまい、その怒りをイエス様に訴えます。

 それに対してイエス様はこうおっしゃいました。
 「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」

 心を乱し苛立ち、怒りを爆発させたマルタにイエス様は、「必要なことは一つだけです」と最も大切なことを示します。
 それは、「マリヤはその良いほうを選んだのです」とイエス様が語った通り、マリヤが選んだことです。イエス様の足もとに座り、そのことばに耳を傾けることです。

 私たちは様々な声を聞いて生きています。子どもの時は親や家族、先生、友だちの声を聞いて育ちます。テレビやメディアから膨大な声を受け止めながら私たちは生活しています。よくも悪くもそれらの声の影響を受けながら私たちは価値観を作り、その価値観に従って生きています。

 人生、誰の声に聞き従うかで決まります。誰の声を最優先で聞くか、誰の語り掛けを指針として生きていくか、それが人生を決めます。
 だとしたら、最も信頼できる声、最も私たちを活かす語り掛けを選びたいものです。

 イエス様は今も聖書のことばを通じて私たちに語りかけてくださいます。
 キリスト教会は毎週礼拝を捧げ、イエス様の足もとに座り、そのことばに耳を傾けて、一週間をスタートします。
 ラジオの前のあなたも聖書を読み、教会の礼拝に集い、最高の語り掛けに活かされて歩みませんか? 


 ( PBA制作「世の光」 2025.5.1放送でのお話しより )


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■愛は観察し、想像し、選択する /水谷 潔

2025年07月30日 | Weblog

2025/4/30放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 愛知県春日井市にあります春日井聖書教会・協力牧師の水谷潔です。
 新約聖書ルカの福音書10章の38節以降に登場する二人の姉妹の物語から、4回渡ってお話ししていますが、今日はその3回目です。

 イエス・キリストの一行がある村に入り、マルタとマリヤという姉妹の家を訪れます。マルタはもてなしを始め、マリヤはイエス様の足もとに座り、その語り掛けに耳を傾けていました。

 ところが、忙しさの中、苛立ったマルタは、マリヤがもてなしを手伝おうとしないこと、それを注意しないイエス様を責めてしまいます。
 それを受けてイエス様はこうおっしゃいました。
 「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。しかし、必要なことは一つです。マリアはその良いほうを選びました。」

 実はこの時イエス様は、全人類を救うために罪の罰の身代わりとなる十字架の死に向かう緊張の中にいました。父なる神様から引き離されて死に渡されるその場所に向かう途中であったのです。

 マリヤはイエス様のご心情を直感的に、しかも正確に感じ取ることができる人物でした。
 ですから彼女はイエス様の様子から、ただならぬものを感じ取ったのでしょう。イエス様が「マリアはその良いほうを選びました」とおっしゃったように、マリアは敢えておもてなしをせずにイエス様のそばにいることを選んだのです。 おもてなしより、そばにいてお話をお聴きすることが、最もふさわしい愛の形だろうと想像してそれを選んだのでしょう。

 そうです。愛は、観察し、想像し、選択します。愛は相手をよく観察します。その心情を想像します。その上で最善の愛の形を選択します。

 どうでしょう。ラジオの前のあなたは身近な大切な人を、愛をもって観察し、心情を想像し、かかわり方を選んでいるでしょうか?

 聖書は私たちに真実な愛の姿を見せてくれます。愛は観察し、想像し、選択します。
 聖書が描くマリヤの愛の姿を思い浮かべながら、身近にいる大切な人たちをこれまで以上に大切になさってください。


 ( PBA制作「世の光」 2025.4.30放送でのお話しより )


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■愛の行動より、愛の関係 /水谷 潔

2025年07月29日 | Weblog

2025/4/29放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 今週、番組を担当する、愛知県春日井市にあります春日井聖書教会・協力牧師の水谷潔です。
 今週は新約聖書ルカの福音書10章の38節から42節が記すマルタとマリヤの物語から、4回に渡ってお話をしていますが、今日は二回目です。

 イエス・キリストの一行がマルタとマリヤという姉妹の家を訪れます。マルタはもてなしを始めますが、マリヤはイエス様の足もとに座り、そのことばに聞き入っていました。

 ところがマルタは忙しさの中、マリヤがもてなしをしないことに苛立ちます。そして自分だけがもてなしをするという不公平を注意しようとしないイエス様に怒りをぶつけます。

 その怒りの訴えを受けてイエス様は答えます。
 「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。」

 マルタとマリヤの性格は正反対のようですが、イエス様は二人の性格の違いについては触れていません。「マリヤはその良いほうを選びました」と二人の選択の違いを指摘しています。

 マルタが選んだもてなしは立派な「愛の行動」でしょう。
 しかし、マリアが選んだ「愛の関係」は更に良いものでした。イエス様はそれを必要な一つだけのことだとおっしゃっています。

 マルタとマリヤの物語は、私たちに「愛の行動」か「愛の関係」かの選択を考えさせます。愛する誰かに何かをすることと、ただそばにいて話を聞くことのどちらを選ぶかを問いかけます。
 私たち現代人は何かをすることばかりに価値を見出し、マルタの選択一辺倒になりがちなのではないでしょうか。
 その一方で、近くに寄り添い、話を聞くことが少ないのではないでしょうか。

 ラジオの前のあなたは大切な人の声を聞いているでしょうか? その人は、あなたに何かをしてもらうより、そばにいて話を聞いて欲しいのかもしれません。
 愛の行動は尊いものです。しかし聖書はそれに勝るものとして愛の関係を私たちに示します。

 イエス様のことばを受けて、大切な人のためにそばにいて話を聞いてみませんか。愛の行動だけではなく、愛の関係を大切にして、幸せな人間関係を築いてみてはどうでしょうか。


 ( PBA制作「世の光」 2025.4.29放送でのお話しより )


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■多忙、苛立ち、怒り爆発 /水谷 潔

2025年07月28日 | Weblog

2025/4/28放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 今週、番組を担当する、愛知県春日井市にあります春日井聖書教会・協力牧師の水谷潔です。
 今週は、新約聖書ルカの福音書10章の38節から42節が記すマルタとマリヤの物語から4回に渡ってお話しします。

 イエス・キリストの一行がある村に入り、マルタとマリヤという姉妹の家を訪れます。イエス様をお迎えするとマルタはおもてなしを始め、一方のマリヤはイエス様の足もとに座り、そのことばに聞き入っていました。マルタはマリヤがもてなしをしないことについては何も言いませんでした。

 「ところが」です。(ルカ福音書)10章の40節をお読みします。
 「ところが、マルタはいろいろなもてなしのために心が落ち着かず、みもとに来て言った。『主よ。私の姉妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください。』」

 イエス様を愛する思いから始めたはずのもてなしは、忙しさの中で苛立ちを生み出します。マルタはその怒りをマリヤにではなくイエス様に向けたのです。自分だけがもてなしをするという不公平な状態を許しているイエス様が悪いのだと責めたのです。

 その訴えを受けてイエス様は続く41節でこう答えます。
 「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。」

 この「心を乱す」ということばは「心の焦点が分裂していること」を意味します。イエス様はマルタにそのことを自覚して欲しかったのです。愛するイエス様をもてなしたいという本来の心の焦点に立ち返るように願われたのです。

 愛する人、大切な誰かのために、と始めたことなのに、忙しさの中で苛立ちが生じてその相手に怒りを向けて発してしまう、責めてしまう。そんなことってないでしょうか。

 イエス様は今も目には見えませんが信じる者と共におられ、そんな私たちに聖書のことばを通じて語り掛けてくださいます。

 あなたもイエス様を信じて、その語り掛けを受けて毎日を歩みませんか? 心の焦点が分裂することがあっても、いつもイエス様はあなたを本来の思いに立ち返らせてくださいます。あなたらしい、本来の歩みへと導いてくださいます。


 ( PBA制作「世の光」 2025.4.28放送でのお話しより )


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■イエスは復活された・なぜ泣いているのですか /田村治郎

2025年07月26日 | Weblog

2025/4/26放送

 「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? グレース宣教会牧師、ハンガーゼロ巡回牧師の田村治郎です。

 イースターの朝、イエスの復活の朝の出来事です。イエスが十字架で死んで葬られた墓に、三日目の日曜日の朝早く、マリヤはイエスの遺体に香油を塗ろうとやってきます。

 しかし、到着して驚きます。何と墓の入り口を塞(ふさ)ぐ大きな石が取り除けられていました。恐る恐る中を覗くと、イエスの遺体も消えている。不当な裁判を受け、ゴルゴダの丘まで十字架を担いで歩かされ、最後は十字架で散々苦しめられたイエス。亡骸(なきがら)となった今でさえどこかに持ち去られるのか・・・。心乱れたマリヤは、悲しみのあまり泣く以外になかったのです。

 そんなマリヤに御使が現れ声をかけます。「なぜ、泣いているのですか?」
 それは嘆くマリヤに対してずいぶん冷たいことばに聞こえます。マリヤはイエスの遺体が何処かに行ってしまったことを説明し、こんな悲しいことがあるでしょうか、と訴えます。

 しかし御使いだけでなく、マリヤの後ろに立たれるよみがえられたイエス自身が「なぜ、泣いているのですか?」と声をかけます。

 マリヤには墓の管理人としか思えず、同じように泣きながら説明します。

 愛するイエスが死んだだけでなく、その遺体までもがそこにはない、それはどれほどの悲しみと絶望でしょうか。嘆き悲しむ以外にそこに何があるというのでしょう。
 それでもイエスは問うのです。「なぜ、泣いているのですか?」

 この事実は、泣き悲しむことではなく、むしろ喜ぶべきことです。イエスの十字架の死は、そして、その墓が空っぽであることは、まさに死に勝利され、よみがえられた事実そのものなのです。死で終わりと思う人生に、永遠のいのちの希望に生きる新しい人生の始まりを、自らのよみがえり・復活を通して示してくださいました。

 新約聖書ローマ人への手紙6章5節
 「私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです。」

 イエスを救い主と信じる私たちは、このイエスの復活と一つにされているのです。
 「なぜ、泣いているのですか?」 
 むしろ大いに喜ぶべきことではないでしょうか。 


 ( PBA制作「世の光」 2025.4.26放送でのお話しより )


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