2025/4/15放送
「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
今週は、イエス・キリストが十字架につけられたことを覚える受難週です。
さて、イエス様が弟子たちの足を洗い、最後の晩餐を済ませた後、イエス様と弟子たちはオリーブ山のふもとにある「ゲツセマネ」という所にやってきました。もう日が沈み、あたりは真っ暗になっていました。
イエス様は他の弟子たちを待たせておいて、ペテロとヤコブとヨハネの三人を連れて園の奥に入って行かれました。この三人は、いつもイエス様と共にいて、イエス様の素晴らしい奇跡のみわざを直接見てきました。しかし、この時のイエス様の姿は、彼らが今まで見たことのない、まったく違うものだったのです。イエス様は、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです」と言われ、その顔は、悲痛な形相に変わっていきました。そして地面にひれ伏し、苦しみもだえ祈り始めたのです。イエス様の生涯で最も悲痛な姿が示されたのが、このゲツセマネの祈りの時でした。
そしてイエス様は、「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください」と祈られました。
「この杯」とはいったい何でしょう。それは罪のないイエス様がすべての人の罪に代わって十字架にかかって罪の罰を受けてくださるという杯です。
罪なき者が罪に定められ呪われた者となるという苦しみでした。なんという矛盾、なんという不条理、悲劇でしょう。
このことは私たちには考えることもできない、想像することもできない痛み、苦しみです。
しかし、苦しみもだえながら祈られたイエス様は、「神のみこころが成るように」と祈り終えると、それまでの苦しみの形相は一変して、まっすぐと十字架への道へと進んで行かれました。
人は何かの困難や問題が目前に迫ってくると、恐れたり、ひるんだりしますが、心の準備が整うと、その後は、その課題や困難に力強く立ち向かっていくことできると言います。このゲツセマネの祈りの後、イエス様は驚くほど自信に満ちた態度を示されました。恐れもだえたあのイエス様の姿は、もはやそこにはありません。少しの疑いもありません。少しの迷いもありません。少しの不安もありません。ただ、ご自分の前に置かれた人の罪を背負い、救いの道を開く十字架への道へとまっすぐに進んで行かれたのです。
( PBA制作「世の光」 2025.4.15放送でのお話しより )
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