去年4月に国会は種子法の廃止を決めた。自国の首を絞めるなんてあほだと思う。
今朝の東京新聞社説で種子法(主要農作物種子法)廃止について触れくれてるので、抜粋します。
主要農作物って、稲、大豆、裸麦、小麦、大麦のことね。
●種子法廃止に考える 食料主権の問題です
◆戦争への反省に立ち
第二次大戦末期、米や麦は一粒でも多く食用に回さねばならなくなり、種を取る余裕を失った。そのことが戦後の食糧難を一層深刻にしたのである。
種子法も憲法と同じ、先の大戦の反省に立ち、私たち国民を守るために生まれた法律だった。
もう二度と、種が途絶えて人々が飢えることのないように、穀物の優良な種子の開発と安定的な供給を都道府県に義務づけたのだ。
これを根拠に都道府県は、その土地の気候風土に合った奨励品種を定め、公費を使って作出し、その種子を安く農家に提供し続けてきた。
◆競争原理はそぐわない
その種子法がなぜ廃止されたのか。おととし秋に国が定めた「農業競争力強化プログラム」には次のように書かれている。
<戦略物資である種子・種苗については、国は、国家戦略・知財戦略として、民間活力を最大限に活用した開発・供給体制を構築する->。そのためには<地方公共団体中心のシステム>である種子法が、民間の開発意欲を阻害していたというのである。
種子法廃止で都道府県が直ちに種子の供給を止めるわけではない。だが、海外の大資本の参入により、日本人の主食を守り続けてきた「公的種子」の開発、供給システムが、崩される恐れはある。
モンサントやデュポンなど、わずか八社で世界の種子の売り上げの約八割を占めるという。
種子法の対象外ではあるが、少し前まで日本の野菜の種は、100%国産だった。今や九割が海外生産だ。そして大半が、自家採種が不可能なハイブリッド(F1)の品種に取って代わられた。
野菜の種子の価格は、四十年前の約三倍になったという。
米や麦が近い将来、野菜のようにならないという保証はない。
種子法廃止で一つ確かに言えること。多様性の喪失だ。
市場競争の勝者による淘汰(とうた)が進み、種子の多様性が失われ、消費者の選択肢も次第に狭められていく―。
◆自分で選ぶべきだから
そもそも種子は命そのもの、命をはぐくむものである。だから「みんなのもの」だった。すべてを競争原理の世界に放り込み、勝者による独占に委ねてしまっていいのだろうか。
今国会でも復活の声が上がった種子法は、私たち主権者=消費者にも無関係ではないのである。
あのさ、食いもんと水をおさえられたらお手上げなんだよ。
ゲスイかもしれんが、種子会社からリベートをもらったり、いい思いさせてもらってる政治家っているはずだよなーって思っちゃう。そういう政治家が日本を売ったんじゃなかろうか。そんなピーマン頭はいらんがな。
戦争いらない、原発いらない、国を売る政治家いらない。