中浦和“ふうるふうる”のたらです。
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『くらしと教育をつなぐWe 181号』(フェミックス)で、どきりとする言葉に出合いました。
「誰ともわかり合えないものがその人のアイデンティティ」
これは、向井承子さんと木村榮さんの「往復書簡・16 病む生」での木村榮さんの言葉です(木村さんはガン治療中でそのほかにも心身にいろいろな不調を抱えています)。その部分を抜粋します。
不安のパニックに陥ったときなど、処方された安定剤を飲みながら、いつまで「自分」を維持できるだろうかと血のひくような恐怖を感じることがあります。健康な友人たちは、私の、時に過剰な反応を「繊細過ぎて扱いにくい」という以上にはわかってくれません。
壊れかけた心を笑い合える相手がいない。
これはきついです。
でも向井さんは言いましたよね。誰ともわかり合えないものがその人のアイデンティティだと。その一言が私の「わかって欲しい病」の目を覚ましてくれました。そうと腹を括ることが、老いて「病む生」を生きる覚悟なのだと肝に銘じています。
「わかって欲しい病」って、言い得て妙だなぁ。
「察してちゃん」「言わなくてもわかってくれて当然」って思ってる人って多い。でも自分とほかの人はびっくりするほど違っていることが当たり前だから、同じことを体験しても感じたり考えたりすることは違うのよ。
だから、自分と意見が違うと、自分が否定されたように感じたり、馬鹿にされてるんじゃないかなんて思っちゃう。
で、「みんな同じ」がいちばん安全ということで、あたりさわりがないようにやり過ごしていながら、「友達がいない」「親友ができない」なんて悩む。
ごく普通の生を生きるにおいても、「誰ともわかり合えないものが自分のアイデンティティ」と腹を括って、「わかって欲しい病」にかからないようにしたほうがいいなあと思ったのでした。