ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと

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脱原発は命を守ること、地球を滅亡させないこと

2012-12-21 08:47:11 | 原発

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
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 友人のケイちゃんが、「他国の人だってこう考えるのに、情けないねぇ…」と、「フランスねこのNews Watching」ブログに、フランスのルモンド紙の「福島を忘れる人々」(12月18日)という記事があることを教えてくれました。(http://franceneko.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/1218-e595.html

福島で起きた原発惨事は既に忘れられ、時は新たな段階へと移りつつあるのだろうか。
時間とは皮肉なものだ。
日本国内で国際原子力機関(IAEA)による原発の安全強化に関する国際会議が開かれるさなか、日本人は原発の再稼働を強く推進する自由民主党を与党に選んだ。
日本の豹変ぶりには目を見張るものがある。
土曜日の晩まで原発からの脱却を準備していた日本は、日曜日に自民党政権が誕生して以来、停止中の48基の原発を再稼働する方向で動き始めている。
この180度の方向転換は私たちを不安にさせる。
2011年3月に福島で起きた大規模な原発事故は、原子力施設の安全管理体制が内包する深刻な機能不全を白日のもとにさらした。
そして日本が抱える地震と津波という二重の安全リスクは今もそのまま放置されている。
日本国内にある原発は全て海岸沿いに設置されており、そのうちの3つは活断層の上に建設されているのである。


 さて、通販生活2012年秋冬号「落合恵子の深呼吸対談」 第15回 原発連続講座 その4」で、原発がある自治体の首長で唯一「脱原発」を表明している茨城東海村村長の村上達也さんは次のことも発言しています。

落合 脱原発を訴えることは、国策に弓引くことですけれど、それを原発立地自治体の首長である村上さんがなされたのは画期的なことです。
村上 これは国というより歴代自民党政権に弓引くことなんですよ。55年体制下で自民党が進めてきた原発推進政策です。だから、生粋の自民党員や自民党の有力者と関係が深い人は、なかなか脱原発に踏み切るのは難しいでしょうね。

村上 1956年に日本原子力研究所の立地場所となって以来、東海村は原子力推進の旗を振ってきました。
 私も推進側の後継者として97年に村長に当選したのですが、はじめは原発もしようがないかなと思っておったんです。でも99年にJOCの臨海事故が起きました。
落合 99年、住友金属鉱山の子会社であるJCOが核燃料加工施設で臨界事故を起こして、日本で初めて事故被ばくによって亡くなった方が出ました。670人の住民も被ばくしています。
 その事故を経験して、私はもう原子力推進の旗は振らないと言明したんです。
(JOC臨界事故が起きたとき、本来ならば国や県の許可が必要だが、村上さんは独断で住民へ待避指示を出した)
落合 決断を下すには、後々に国や原子力業界の圧力がかかることも容易に想像できますから相当の勇気が必要だったと思います。
村上 もともと国や護送船団方式の原子力業界に対して不信感があったんです。ちょっとやりすぎだと思うこともあって。
落合 例えば?
村上 村長になってすぐのことですが、青森県の六ヶ所村で原子力産業会議があって、私が東海村と原子力について話をすることになったんですね。そうしたら、日本原電の人たちが「発表する原稿を書いてあげます」というんですよ。私は「何を言うか! 私は村長として自分の意見を言うんだ。あんたらの意見を代弁するんじゃない!」と一喝しました。
落合 それまでは、ずっとそういうことが行われてきたという証拠ですね。
村上 そうです。そのことは東海村の職員も認めています。

 はあー、いまだに原子力業界や電力業界の傀儡(かいらい)になっている首長が多いんだろうなあ。それを止められるのは私たち国民。
 自民党の暴走を抑えられるのは、私たち主権者。
 脱原発を訴えることは国策に弓引くことではなく、自分の命を守ること、日本を破滅から救うこと、地球を破滅させないこと。