花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

新日本拝見 四日市 成長する町

2021年02月09日 | レモン色の町

このように大きく発展していく工業の力は、四日市の町そのものを大きく変化させている。外資による火力発電所が港の埋立地に建設されている(中部電力三重火力発電所 昭和29年2月着工→昭和33年6月完成)。増大する工業の要求に追いつかなくなった電力を補給するためである。道路も現在(昭和32年現在)の幅の狭い東海道1本では、もはやトラックがさばききれない状態である。これと並行して名古屋との間に、もう1本自動車道路をつくろうという計画がすすめられている(名四国道 昭和35年6月着工→昭和38年2月完成)

町そのものがどのように発展していくか、その将来を見極めての計画がないのだから、どんな変化が起こるのか誰にも予想がつくまい。

計画らしいものに基づいてやられたただ一つの仕事は、大阪と名古屋を結ぶ2本の鉄道である国鉄の関西線と近畿鉄道線を分離したことであろう。従来は国鉄の四日市駅で連絡するためには近鉄線は街の中をぐるりと迂回して走っていたのであるが、それを分離して直線の軌道になおし、近鉄の駅は、国鉄の駅からはるか離れたところに新築された(近畿日本鉄道四日市駅完成 昭和31年9月)。その為に、昔の近鉄の線路の跡は道路となり、ここにも新しい繁華街が出来ようとしている。駅舎は屋上に電光ニュースの設備を持った堂々たる建物である。

左に市役所と公会堂が建つ。講和記念博覧会跡地だから昭和28年頃だろう。下総人さんの家が、裁判所予定地の西に建っているのではないでしょうか?

国鉄四日市駅と近鉄駅を結ぶ70メートル道路を歩きながら不思議なことを発見した。それは、全部が舗装され緑樹地帯が作られ、市役所の前にはロータリーまで設けられているのだが、その道路の片側には舗装もされず長々と口を開けているものがある。下水の溝なのだ。

新しい駅舎2階から東を望む。左に川が見える。昭和32年

地面が低くて満潮時には水はけの悪い四日市では、よほどの整備をしないと、下水管を埋設することができないのである。それで二つの駅を結ぶ中心道路を作り、大都市にふさわしい設計もしたのであったが、この下水の溝だけはどうにもならなかったというわけである。発展していく速度に追いつけず、ナリもフリもかまわずただガムシャラに駆け出している四日市の姿が、この溝に何よりも良く象徴されているように思われた。

これだけの変わりようを示した町は、そうたくさんはあるまい。これから先の二十五年の変化は、もっと大きく、もっとテンポが早いことだろう。将来の大工業都市四日市は、このように成長しようとしているのである。日本の希望を背負って、つつがなく、たくましく育ってほしいと祈っておきたい。

写真“四日市の今昔”樹林者刊 前田憲司さん 資料提供ありがとうございました