稲葉三右衛門翁の銅像は、今もJR四日市駅前から港を望む形で立っている。四日市祭りの冒頭に開かれる商品祭を前に、先ず稲葉翁に献花式が行われ、お祭りが始まる。
銅像の後ろに次の文章が刻まれていた。
四日市の先覚者 三右衛門翁は天保8年岐阜県高須町に生まれ のちに中納屋家の稲葉家をついだ 早くから四日市港の不備を憂い 明治6年その修築に着手し あらゆる苦難に耐え 巨大な私財を投じ 同17年遂にこれを完成して四日市港発展の礎を築いた 功により明治21年藍授褒章を賜わった
昭和2年翁の先見の明と不屈の精神をたたえ昌栄橋畔に銅像を建設したが太平洋戦争の為に供出された
今回この再建にあたり17万市民の絶大な協賛によって四日市駅頭に再び翁の偉容を仰ぐことができた
これは翁の遺徳によるとともに市民の喜びである
昭和31年11月文化の日 光城 書 ㊞
建設委員 伊藤伝七・浜田弥平・吉田勝太郎・九鬼紋七・山本三郎・市教育委員会 とつづく
昭和32年の週刊朝日から 整地されたばかりの中央通り 四日市駅もできていない通りの真ん中にぽつんと稲葉翁の像が立つ まず初めに銅像ができたようです
昭和32年3月17日撮影
※ 余談になりますが 左衛門は<ざえもん>と読みます。右衛門<うえもん>と読まずに<えもん>と読む。これは <うゑもん>と書いてゑの字を<ううぇもん>と発音するので 読みやすく省略された と、確か聞いた記憶があります。ほんまか?
現在と異なり、まるで原っぱの緑地帯に三右衛門さんが一人ポツンと、、、。
右奥には関西橋。その南詰には釣り道具屋があった。関西橋の下でゴカイ取りをしたことも。あまり居なかったけど(笑)
このコメント、名前を書くの忘れてました。
例によって下総人はいつもオッチョコチョイ。(笑)
国鉄さんには貸しがありますので(謝!)、探索ツアーを企画したいのですが・・・。
ところで、国鉄さんに貸しがあるとか?
それは残念ですね〜。
国鉄さんは借金踏み倒して、JRに改名して逃げてっちゃった。😄😄😄
これは翁の遺徳によるとともに市民の喜びである
昭和31年11月文化の日 光城 書 ㊞”
加藤光城先生が書を残されておられるのですね。
今度、四日市を訪う機会があれば、是非とも見に行きましょう。
光城先生には小学校の時、3年余り書道塾でお世話になり、四日市高校では芸術科目で書道を選択した私は一年間お世話になりました。
タケオさんは芸術科目で何を選択されましたか。
私は高校の時?演劇部でした。恋心大き学生時代でゴザイマシタなぁ。
それから、国鉄さんへの貸しは、下総人さんからの本を国鉄さんに預けました・・・ことです。おわすれか??
タケオさんは何を選択されましたか。