花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

柳澤佳子さんの言葉

2005年10月25日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
人生50年半ばを過ぎるといやなことが多くなる。いやなこと、ありませんか?
日も夜、ススム君が入ってきて、いやなことを思い出させるような話を、楽しそうにしていった。あんたはえらい!ちっとも苦しんでいる様子がない。
めに解決するように努力すればいいのだけれど、いやな思いばかりしていて、なかなかことの解決に腰を動かせない。ぎりぎりになるまで意気消沈している。オイラの性格だから仕方がないと思っている。話が抽象的で、お分かりになるだろうか?
きて死ぬ智慧」を書かれた、柳澤佳子さんを再び持ち出す。仏教の教えでは、人間幸せになるには、欲を捨てよという。それはなんとなく分かる。そして、我を捨てよという。これが分からない。
を捨てるとはどういうことなんだ。柳澤さんは文芸春秋11月号でこんなことを言ってみえた。柳澤さんは36年間「周期性嘔吐症候群」という病にかかっている。病名がはっきり分からないために、医者にも見離され、孤独の中で解決を宗教に求めた。
る日、歩行困難になった柳澤さんが車椅子で移動していると、すれ違いの婦人に「ご不自由ですね」と声をかけられた。憐れみをかけられた柳沢さんは大変惨めで、不愉快な思いをした。そのとき、ドンと背中を押されたような気になった。
こに二つの現象がある。婦人の「ご不自由ですね」という哀れみの言葉。そしてもうひとつは自分の不愉快な気持ち。ここで不愉快な気持ちを消し去れば、親切からかけた励ましの言葉だけが残る。心地よい婦人の気持ちだけになる。だから、自分の感情がそこに存在しなければいいのだ。己の感情を無にすればよい。
やだいやだと思っていても、ことにあたると、それほどたいしたことでもない場合が結構ある。解決の方向に、こつこつやってれば良かったのにと思うことが多い。
から出来るだけ、我を捨てて、いやな感情を存在しないようにしている。自分が思っているだけで、なんら状況に変化を与えてないのだから。
かし、何とかならんかねえ。この性格。
コメント
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