花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

痛快!寂聴 仏教塾

2005年10月19日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
瀬戸内寂聴さんの「痛快!寂聴 仏教塾」を読ませていただいております。死んだおふくろが好きで、生前に買い与えた?本です。
寂聴さん、あなたの好きなお言葉は?
私は「切に生きる」という言葉が好きです。
「金に生きる」なら分かりますが「切に生きる」とはどういう意味でしょう?
昔、中国の曹洞宗の祖師、洞山和尚(どうざんかしょう)に、弟子の坊さんが聞きました。「今日はどんな説明もいりません。一言で答えてください。いかなるか、これ清浄発身(しょうじょうほっしん)」悟りを開くにはどうすれば良いか?という質問なのです。
清浄発身とは、なんとなく金には縁のなさそうな言葉ですね。
生きた仏という言葉です。これに対して洞山和尚は、こう答えたのです「われ、常に、ここにおいて切なり」
「われ、常に、ここにおいて金なり」の間違いではないんですか?
切とは切っても切れないことです。切実、大切の切です。つまり今、自分がしていることに没頭しなさいといっているのです。食べているときも、働いているときも、眠っているときも、唯ひたすら一生懸命に没頭しなさいと。
お金を勘定しているときは没頭しますが、没頭するほど金がないのです。
死後のことを思い煩うな、やがて来る別離におびえることもない。今、生きている一瞬を切に生きれば、それでいいじゃないかということです。私もまた、切に生きたいし、そのように死にたいと思っています。明日のことを考えず、この一瞬一瞬を大切に生きる。それができれば、最高の人生ではないでしょうか。
オイラも金さえあれば、切に生きることが出来るかもしれません。少し、お金・・・・
そこの裏口から出て行きなさい。

コメント
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