花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

市井からの眺め82関西鉄道⑫

2020年07月01日 | レモン色の町

値引き合戦の弊害に、大隈重信卿が官営鉄道側に苦言を言い渡した。

大隈重信

また、明治37年1月には名古屋商工会議所が逓信大臣に対して競争は混乱を招いている旨の建議を行っている。

こうして、明治37年4月、大阪府知事ほか国会議員2名による調停が行われ、4月25日に鉄道作業局長官と関西鉄道社長との間で協定書が取り交わされた。

協定の大要は、旅客については名古屋・大阪間および名古屋・草津間の運賃は局社同一とし、値引きを行うときは協議の上行うこと。貨物については名古屋・大阪間に発着するものはその運賃を同一とし、この区間における貨物の全数量中 輸送分担量を協定して実際輸送量をなるべく協定の線に適合するよう努めることであった。マ、両社仲良く運営してくださいということです。

昭和37年1月23日の鉄道時報より「切符お買い求めの御方に新鮮なる御弁当進呈」

こうして激しい競争に終止符が打たれたが、この背景には、日露戦争による貨物輸送への強い要請が、官設・私設両鉄道ともいたずらな競争を許さない情勢にあったためと思われる(明治37年2月6日、日露戦争が勃発している。兵士、兵器、物資等の国内輸送が最重要になっているときに「値引き合戦をしている場合か!」との軍の逆鱗に触れたことも大いに影響しているのだろう)

明治39年の鉄道国有法の成立により、明治40年10月1日、関西鉄道は国有となり、競争は完全に終息した。

追記:下総様からご指摘をいただきました。

前出の亀山駅構内で、車庫に入っているのが「鬼鹿毛」で、入れ替え作業をしているのが「望月」でした。双眼鏡で見ましたが、分からなかったです?

陳謝!

追記の追記

下総人さんからメールが!

鬼鹿毛は電光(いなづま)や雷(いかづち)と同様に、列車が加太越え(鈴鹿峠の加太トンネル)をするときの助っ人機関車(補機という)。望月は入れ替え用の小型機関車。機関車の入れ替えを機関車がするというのは少し変ですよね。ですから昔の微かな記憶が蘇ったのです。

余談ながら、現在の状況は知りませんが、私が“撮り鉄”だった1970年の頃、この加太越えはデゴイチが2輛、前ひき後押しナンダ坂コンナ坂と童謡そのものの風景が見られました。

また、写真にある機関車は、このころまだ使われていました。あの頃が、懐かしいです

下総人様 ありがとうございました。風景が目に浮かぶようです。見れるものなら見たいです。

 

コメント
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