花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

諏訪神社の思いで

2005年06月01日 | おいらの商店街
 毎月一日は、朔日恵比須の日。商店街は少しざわついていた。
 朝は9時からのぼりを立てて、みんなで揃って諏訪神社へお参りにいく。諏訪神社のご神体は恵比須様。一日は参拝に来る人が多い。
 武兵衛は地元で生まれて育ったから、諏訪神社と諏訪公園が遊び場だった。今日は、諏訪西商店街進行組合の野村副理事長がみえて、サポーター講座依頼の確認があった。サポーター講座は、すわ公園交流館(諏訪公園の中にある)で行われている「こども四日市2005」に携わるサポーターの方々を対象に開かれている会だ。その中の7月15日の第3回に、「僕たちは街で大きくなった」という演目で商店街の人が発表をするそうだ。
 武兵衛にもしてくださいということで、二つ返事で引き受けた。実は楽しみにしている。昔はすわ公園の中に幼稚園があったから、小さい頃から正ちゃんとよく遊んだ。当時、港の大協石油の火災があって、すごい煙が幼稚園の入り口から見えた。昭和30年頃だったか。
現在、諏訪公園はきれいに整備されたが、諏訪神社はほとんどが当時のままで、境内のあちこちに思い出が残る。正ちゃんと砂利をつかんで投げていたら、その先で寝ていたおじさんがむっくり起き上がったので、血相を変えて一目散に逃げた。政成稲荷の拝殿の前で、穴を掘って遊んだ。ますます大きくなる穴に気がついて後ろを振り返ると、神主さんが怖い顔をして立っていた。これも一目散に逃げた。
百均さんは、当時とてつもなく腕白坊主で、本殿の屋根に上ったそうな。今見上げると、とてつもなく高い。今見ても腕白そうな顔をしている。正ちゃんが、百均さんの弟に毛虫を入れられて、大きな声で泣いていたのを思い出す。そう、百均さんは兄弟揃って腕白だった。
公園と神社で、僕たちは群れて遊んだ。そんな光景は現在、あまり見られない。当時は広い境内も、今は狭く感じる。
今日は、朔日恵比須の日。恵比須堂の前で大福餅さん謹製のいばら餅を販売。その横では、川口さんがみたらしを焼いている。前の縁台ではお年寄りの二人がみたらしを食べながら話し込んでいた。