花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

サーカスのうた

2005年06月11日 | レモン色の町
 この地図は昭和30年頃のものです。岡野繁松氏から拝借しました。
 上から下へ旧東海道が通っています。戦後、新しくクロスするように国道1号線が出来ました。国鉄四日市駅(JR)の右方向から延びた線路は、諏訪駅を通って上の名古屋方面へ向かっています。近鉄線です。線路が街を横断していました。
 諏訪駅は、昭和32年頃現在の近鉄四日市駅へ移転しました。これは四日市の商店街の形成にとって一大事件でした。諏訪神社より東へ伸びる諏訪新道から、商店街の中心が大きく新しい駅前へ移動したのです。現在の1番街です。
 武兵衛にとってこの頃の四日市はとても懐かしい町です。旧東海道と近鉄線が交差する地点から北側。ここから諏訪神社前までが表参道スワマエです。
 この踏切を渡って小学校へかよう朝、線路横によくおじさんがひっくり返って寝ていました。当時のお酒は目が潰れるほど強く、意識不明になって倒れていたのでしょう。いつも同じ場所でしたから、今思うと同じ人だった可能性が有ります。チョット触ってみたい気もしましたが、怪人20面相みたいにむっくり起き上がると怖いので小林少年はやめました。捕まってサーカスにでも売られたら大変です。酢を飲まされても軽業は出来ません。下に網が張ってあっても空中ブランコはごめんです。けど、サーカスの女の子はかわいいかな?
 少しの間、学校へサーカスの子が通っていたことが有ります。あんまりかわいい子はいなかったみたい。一緒に遊んだ記憶はありません。すぐにその子は学校からいなくなりました。次の開催地へ旅立ったのでしょう。チョットうらやましい。
 踏切を渡って南へ、新しい駅前通りになる現在の中央通りは、当時草ぼうぼうの空き地でした。ここを横断して浜田小学校へ通学します。これが冬は鈴鹿おろしの吹く寒いところで、身を縮めて走り抜けました。夏になると、殿様バッタが取れる格好の場所でした。背伸びをすると草原の向こうに家並びが望めました。見える間は家へ帰れます。見えなくなると子取りに連れて行かれます。
 街が新しく変わっていくまでの、あちこちに出来る空き地は、子供たちにとっても冒険心をくすぐる探検の地であったのです。
 今回のタイトル、なんでサーカスのうたなの?