花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

昭和30年の諏訪駅周辺

2005年06月12日 | レモン色の町
 昭和30年頃の諏訪駅前の写真、私の一番好きな絵です。この頃、辻写真館の辻俊文さんが、変わり行く中心街の様子をカメラに収めてみえます。諏訪駅が取り壊されて、今の街が造られていく頃、それは戦後から高度成長期に向かう前の、人々の生活習慣が変わりつつある時代の町の様子でした。
 町行く人にカメラを向けても、あまり嫌がられなかったのは、当時カメラはまだ珍しい時代だったからだと、辻さんはおっしゃいます。
 駅を降りて右側に諏訪マーケットを見ながら進みます。ここの十字路を左に向かい、踏切を越して行くと突き当たりに諏訪公園があります。また、右方向。田中医院のある狭い路地を抜けると諏訪劇場(諏訪東映)へ出ました。今はジャスコ跡地になっています。
 当時、映画は大きな娯楽のひとつで、映画の看板が挙がっています。駅を降りると嫌でも目に入りますね。2本立て、3本立てがあたりまえで、毎週番組が変わっていました。チャンバラの全盛期です。「笛吹き童子」「紅孔雀」そして「大菩薩峠」「一心太助」「怪傑黒頭巾」、ひばりとチエミの何とか道中、何とかの清水港とよく観にいきました。大菩薩峠は異色ですが、われわれの小さい頃は、勧善懲悪主義でした。ええもんか、悪もん。世の中にはこの二つしかないと信じていました。お遊びでも年上の子供がいつも正義の味方でした。おいらはその子分。悪もんは?どこにいたのでせう。
 まっすぐに進むと右に三四百貨店があります。今のスーパーサンシです。当時は共同経営で、1階が食品売り場になったのはもう少しあとだと思います。それまでは何を並べていたのか?2階には文具や切手の店が入っていました。確か食堂もありました。この通りの左には飲食店が多く、線路を背にした小さい店が並んでいます。そして旧東海道へ出るのです。酔っ払いが寝ていた踏切のあるところです。
 この写真では、学生や子供の姿が目に付きます。6月の午後4時頃といったところでしょうか?
今朝まで降っていた雨が上がって陽の射す、諏訪駅前の様子です。

 今日は表参道スワマエで、マックのライブがありました。私は、午前中に、すばらしいお客さんがみえたので、その方のお家まで事情を説明に行ってました。マックさん聞けなくてごめん!
つかれ~たああ・ああぁ