いつの間にか、70代の半ばになってしまった。
子供の頃は、戦時中だったので、特攻隊に入るつもりだった。当然、10代で死ぬ覚悟。
戦争が終わっても、まさかこんなに生きられるとは思っていなかった。
「20代で死ぬかもしれないなあ」 そんな風に思っていた頃もあった。「若死」願望もあったようだ。
結婚して子供が生まれてからは、そんな無責任は許されない。それでもカミさんには、「60歳までは生きるよ」と、頼りないことを言っていた。
とにかく、病気の連続だった。入院の数を数えてみて、自分で驚いている。もちろんその数の中には、虫垂炎のような軽い病気も入ってのことだが。
あっという間に、60歳を越えてしまった。昭和一桁生まれだから、間もなく75歳になる。嫌われ者の「後期高齢者」という存在だ。
今年は運転免許証の更新。その日以降は、車に「紅葉マーク」を貼付して走らなければならない。「嫌だなー」 が実感。妙な法律だとも思うが、法律となれば従わなければならない。
そんな立場に身を置きながら、「面倒くせー、早く死にてーなっ!」 とは思っていない。
とことん迷惑をかけてやろうと思っているわけではない。しかし、「早く姿を消さなければ申し訳ないな」 と思い詰めているわけでもないのだ。
「いい加減にしろよ!今までの存在自体が、とても迷惑だったのだぞ!」
まさかとは思うが、そんな声がかかるかもしれない。
「へーえ、それはどんな意味?」
一応は、そんな質問をしてみたい。
「貢献」と「迷惑」の差し引き計算をすれば、「迷惑」が大きかったという自覚はない。むしろ、「貢献」のほうが多少は多かったのではないかと思っている。これも自画自賛かな?
まあまあ、過去のことはともかくも、これから過ごす「老いの人生」が問題だ。
こんなにも、「少子高齢化時代!」と叫び続けられると、内心には忸怩たる思いが湧く。
「少子化」時代を作った責任の一端は、私たちにもあったろうし、「高齢化」は、まさに自分たちが実践中だ。
国家財政は赤字。医療や福祉の予算は縮減されていく。
働き盛りの人たちが、職を失っている。
ましてやエコ、エコの連呼。用もないのに、二酸化酸素を吐き続ける老人は無用!
そのような背景の中、肩身を狭くして生き続けて行かなければならない。
よほどの覚悟が必要だ。
「いいえ、努力してまで生きていただかなくても結構ですよ。死んでもいいのです。むしろ歓迎したいほどです」
こんな声が囁かれるかもしれない。
「あと××年生きれば・・・・となるから、もうちょっと頑張ろう!」
これはあくまでも個人的な都合。
国としては、「いい加減に死んでほしい」 と思っていてもおかしくはない。
老人たちの過去を評価したところで、新しいエネルギーの創出にはつながらないのだ。
よほどの覚悟がなければ、生きにくい時代になってしまった。
それとも、おっとりとぼけて生きましょうか。
氷張るゆったり泳ぐ魚の影 鵯 一平
公園の池に、薄い氷が張った。
その氷の下、魚は当然のように泳いでいる。生きにくくないのかねえ?
これから恒例の外出へ。
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