新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

トホホホ・・・

2014年09月18日 10時44分40秒 | インポート

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  あの人は、『器』が大きい。

  そんなことを言ったり、聞いたりすることがある。

  そのような使われかたの『器』は、『器量』のことで、能力や人徳のことだ。

  その『器』について考えてみた。

  人生を歩む上で、『器』は大切なもの。

  仕事を成し遂げるのも失敗するのも、『器』に左右されるのは当然だ。

  大きなことを言えば、国を発展されるか衰退させるかは、政治指導者の『器』次第。

  友人関係や恋人関係がスムーズに行くかどうかも、基本的には「相性がいいかどうか」によるが、それぞれの『器』によるところが大きい。

  家庭も然り。

  つくずく実感しているのだが、その『器』は、経年的に瘠せ細っていくらしい。

  『器』を大きくするためには、

  ①本を読む②体験をする③『器』の大きい人に接する④多くの人生に触れる⑤執着しない

  などがある。

  がしかし、一度蓄積すればいいのではなく、絶えず反復していないといけないようだ。

  『器』は瘠せる。狭くなる。ボロボロになる。劣化する。

  心していなければいけないのだが、そのために必要な執着心もまた瘠せ細る。

  『器』は不老長寿ではないのだ。

  絶えずトレーニングを要するらしい。

  それを「面倒くさい、厄介なこと」と思うかどうか。

  「丁寧に生きる」ことを、どのように実践するか?

  淡泊なことも生き方の一つ。

  写真は途方に暮れているチンパンジー。

  千葉動物園にて撮影。

 

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よき友

2014年08月30日 18時46分06秒 | インポート

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  十数年ほど前だったろうか。

  夜もかなり更けたころ、、親しい友人から電話があった。石和温泉で呑んでいる様子。

  「今、『人情酒場の会』を設立することになりました。初代会長はあなたです!」

  突然のことなので、私には状況が掴めない。

  「ウ………?」

  「これから発足の乾杯をするので、音頭をとって下さい」

  電話の向こうでは、ご機嫌にになっている数人の笑い声が上がった。

  こんなことは過去にも幾度かあったので、状況はすぐに飲み込めた。石和温泉の宴会のために、乾杯の発声をすればいいのだ。

  「カンパ~イッ!」

  私の発声のあと、電話の向こうで乾杯の声が上がった。

  そのような経緯を経て、「人情酒場の会」が発足した。

  その後、会の名称を「はらわたの会」と改め、月例的な「飲み会」、ゴルフ、カラオケを楽しんでいる。

  メンバーもかなり増えた。持つべきものは良き友であり良き後輩だ。

  ありがたいと思っている。

  「はらわたの会」の名称は、十数年前に作った私の川柳にちなんでおり、今になってみれば、少しばかりこそばゆい。

  酒二合わがはらわたの処方箋  ひよどり

  当時の私は、医師から、「酒は呑んでもいいですが、適量にしてくださいよ」と言われていた。

  「適量は二合」、と勝手に決めて作った川柳だった。

  しかし当時は、とても2合では収まらなかった。

  それが祟って、今の私は、1合と決められており、今度こそそれを厳守している。  

 

 

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季節の巡り

2014年08月08日 18時49分49秒 | インポート

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  今朝、散歩のため、カメラを持って玄関を出た。

  玄関先の柊から、ギギッと鳴いて、蝉が飛び立った。

  柊の枝先に、生々しい蝉の抜け殻。ここで羽化したのだ。

  もっと注意力があったら、羽化の瞬間をカメラに収めることができたかもしれない。

  私は羽化の瞬間を、まだ見たことがない。

  それにしても、羽化直後の抜け殻は、私の趣味に合わない。

  蝉の抜け殻は、この世のものであってはならない。

  魂が抜けたあとなのだから、頼りなげに風に吹かれていて欲しい。

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  上はエノコログサ。またの名は猫じゃらし。俳句では秋の季語だ。

  暦の上で昨日は立秋だったが、世の中はまだ熱中症のニュースが流れている。

  つまり、まだ夏の真っ盛りだ。エノコログサは緑色。

  エノコログサの花言葉は、「遊び」なのだそうだ。

  もっと儚いイメージと思っていたのだが、「花言葉」を考えた人は、「猫じゃらし」のイメージで作ったのかも知れない。

  台風11号が沖縄や九州を襲っているらしい。

  そのせいか、暑さは少し和らいでいるのかもしれない。

  もう秋だ。

   ゑのころの川原は風の棲むところ   稲畑汀子

 

 

 

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口惜しい8月

2014年08月05日 19時13分42秒 | インポート

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  私にとって、夏は楽しい。なにしろ、孫たちがやってくる。

  一方、夏は悲しくて口惜しい季節だ。

  広島と長崎に原爆が落とされ、一瞬にして、多くの生命が奪われた。

  しかも無差別殺戮だった。

  アメリカ人は、反省するどころか、「戦争を早く終結させるため、仕方がないことであった」と、無差別・大量殺戮の正当性を言い立てている。

  彼らは万事「正義は我にあり」で、最後まで自国の正当性を言い立てて来る。

  反面、日本人ときたら、「日本の国が悪かったのだから、仕方がなかったンだよねえ」と、本気になって反省しているのだ。人がいいのか無気力なのか。

  ほんとにそれでいいのだろうか。

  いつまでもそんなことでいいのだろうか。

  私にとって夏は楽しいのだが、一方では、悔しさを思い出す季節でもあるのだ。

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親指の爪

2014年08月03日 21時35分34秒 | インポート

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  生来、私は短気だった。それが元で、しなくてもいい失敗を繰り返していた。

  子供のころから、喧嘩っ早やかった。すぐにカッとなって、大立ち回りに及んだことはしばしばだった。

  そんな私の性分に対し、大いに頭を悩ましていたのは母親であった。口癖のように、「短気は損気!」と言っていた。

  母親から教えられていた「おまじない」があった。「親指の爪舐め法」である。

  「カッとしても直ぐに行動を起こさず、親指の爪を舐めなさい!」

  そして、「その爪が乾いでから、次の行動に移しなさい!」

  これが母親の「おまじない」であった。

  私の子供のころ、そんな「おまじない」があったのかどうか、私は知らない。調べてもいない。

  また、効き目あったという記憶もない。

  幾十年か過ぎた今でも、私は気が短い。それが原因で、失敗もしている。

  死ぬまで治らないかもしれない。

  困ったモノです。

 

 

 

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