早くも十二月。
年が明けてから十一月いっぱい、私は何をしてきたろうか。
そんな思いで振り返ったら、反省しなければならないことが、次々と思い浮かんでくる。
誰もそうなのだろうか。
雑貨屋を覗く犬ゐて十二月 ひよどり 一平
早くも十二月。
年が明けてから十一月いっぱい、私は何をしてきたろうか。
そんな思いで振り返ったら、反省しなければならないことが、次々と思い浮かんでくる。
誰もそうなのだろうか。
雑貨屋を覗く犬ゐて十二月 ひよどり 一平
柿の老木に実がひとつ。
木を守るため、一つだけ残された柿の実なのだろうか。
人身御供の姿にも見えるし、闘う勇姿にも見えるが、猛々しさはない。
なんとも淋しいなァ。
残されて夕日まばゆき木守り柿 ひよどり 一平
カラオケは大好きです。
仲間たちと唄うのは楽しい。
「一人カラオケ」にも嵌まっています。
10曲でも15曲でも、好きな曲を好きなだけ唄えて、ストレス解消には何よりです。
レパートリーは広くありません。いいえ、むしろ狭い。
主に「昭和演歌」。つまり、年齢相応といったところでしょうね。
しかし、デュエットは苦手。いいえ、嫌いなわけではありません。あまり唄っていなかったのです。
セクハラと言われた時代でもあり、職場関係の女性と唄う機会はなかった。
さらにもっとズバリ言えば、もてなかったのです。
だから、好きなはずなのに苦手。
デュエット曲を唄うためには、お相手探しから始めなければならないのです。
でも、望みを捨てておらず、密かに勉強をしています。
ひょっとしたら、そのお相手と密かにお勉強中かもしれませんね。
なにしろ、「眠ったフリや死んだフリの得意な」昭和一桁世代なのですから………。
この先を流れに委ね枯落葉 ひよどり 一平
過日は定期検診。
「至極いい状態ですよ。このまま頑張ってくださいね」
主治医先生のありがたい「お言葉」。
「はァ・・・」
いつもなら嬉しいはずなのだが、さほど嬉しい言葉として受け止められなかった。
「長生きは罪悪だ」と思っているわけではない。しかし、「褒められた話でもなさそうだナ?」と思ってしまう私がいる。
社会福祉予算の増大や、老人医療の国家的課題は、私なりに理解しているつもりだし、それだけに肩身も狭い。
ましてこの頃、「80歳以上老人の交通事故多発問題」がある。老人の運転はまるで犯罪扱いだ。
時折、「天真爛漫に食べて死んだ亭主のハナシ」や、「豪快に飲みまくった酔客のハナシ」なんぞを聞かされる。
話しているほうは、悲しがったり口惜しがったりしていない。むしろ誉め讃えかつ懐かしがっているのだ。
聞かされる側の私としては、「飲めず食えず」の日常なので、なんとも肩身が狭い。ちっぽけな自分が無惨にもむき出しだ。
親しかった旧友の幾人かは、家人や友人たちの諫めに耳を貸さず、豪快な晩年を送り、60歳代であっさりと死んで行った。
その後の遺族たちは、むしろ快適な日々を送っている様子。
「一日に酒何合」とか、「塩分は一日何グラム」なんぞと言っているわが生活のなんと惨めなことか。
しかもそれが、国の財政を苦しめ、交際範囲を狭め、家族の生活を窮屈にしているのだとしたら………。
こんなこと、誰にも理解してもらえない老人のチッポケな愚痴。
「生きていていいですか?」 ギリギリのところかもなァ~
それほどなら、いっそ医者にかからずに死ねばいいのだが、それはまた臆病でできないというお粗末なハナシなのだ。
昨夜は友人たちとのイッパイ会。
いつもの「酒の制限」を、ほんの少しだけ緩めて飲んだ。
ヤッパリ酒はうまいなァ。
ほんのわずか節酒を緩め神の留守 ひよどり 一平
昨日のテレビは、今日の大雪を予報して、大騒ぎ。54年振り雪だとか。
「持ち合わせの服の中で、もっとも温かいものを着て行け」
そんなことまで言っていた。
さァ大変。わが家も昨夜から大緊張。
朝、予報通りに雪となっていたが、大降りではなかった。交通機関もほぼ順調であった。
写真は外出先近傍の小さな公園。落葉がみぞれに打たれ、無惨。
雪は上がっていたが、落葉がとても印象的。
あはれやな踏まれし今朝の濡れ落葉 ひよどり 一平