新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

リコール成立

2009年03月30日 11時13分53秒 | コラム・エッセー

 今朝の新聞は、「森田健作千葉県知事誕生」の記事が躍っていた。

 かつての青春スターが、千葉県政を担うこととなった。

 同日、千葉県銚子市の岡野市長に対する解職請求(リコール)に基づく住民投票も行われた。

 この投票では、解職請求が反対を上回り、岡野市長は即日に失職することとなった。

 市立総合病院の休止を決めた岡野市長に対する反発だった。投票率は56パーセント余。 

 50日以内に、出直し選挙が行われる。

 平成18年の市長選挙において、岡野市長は同病院の存続を訴えて当選した。

 しかしながら、同病院は医師不足などによる経営難に陥り、市としても支援不可能との判断に立ち、病院休止としたものである。

 これに対する市民の反発は強かった。

「『何とかしよう銚子市政』市民の会」が、「岡野市長は公約を破り、計画性を欠いた病院休止を強行した」として、今回のリコール請求となった。

 市財政と医療費用の問題は、ひとり銚子市に留まらない。

 国の財政と医療財源も同じ問題だ。

 銚子市政としては、ギリギリの決断だったのだろう。しかし、市民は納得しなかった。

 医療財源2200億円を縮減した国政においても、同じようなことが言えるのかもしれない。

 急速に下降している景気動向の中で、医療や福祉をどのように支えるか、大きな悩みだ。

「財政再建」と「景気優先」。インフラの整備も大切だ。国際社会の一員としての責務もあろう。

 国防も疎かにはできない。

 一方、「医療と福祉」も充実させなければならない。

 年金制度や保険制度をどうするか。

 これをどのようにバランスさせるか。何を捨て、何に手厚くするか。

 少子高齢化が急速に進展する中で、「国のありかた」ともかねあわせて、深く考えて行かなければならない。

 どんな日本を作るのですか?

 国民一人ひとりにも問いかけられている。 

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必然としての死

2009年03月29日 11時03分22秒 | 身辺雑記

Simg_2863

 写真は、新たに芽を覚ました若芽だ。春の陽の下で、希望を燃やしている。

 数十年前、私にもそのような時代があった。

 昭和20年8月15日までの軍国少年時代は、生命を捨てる覚悟で燃えていた。

「しっかり勉強して予科練に入り、いずれは国のために特攻隊!」

 夢と言うより、強い使命感であった。

 戦争に負け、一時はシュンとなった。戦後復興の槌音とともに元気を取り戻した。

「いずれは特攻隊!」と思っていた限りある生命が、敗戦と共に先へ延びた。

 空襲から逃げ惑う辛さがなくなった。逃げる辛さが消えた喜びは大きかった。嬉しかった。

 中学校、高校、大学と進んだ。

 しかし、軍国少年時代のような燃える気持ちはなかった。

「国のために……」といった感懐を、強く抱いてはいなかった。周囲の空気に流されていたと言ったほうが適切かもしれない。

 特攻隊は「死への憧れ」であった。強い使命感に突き動かされていた。

 その憧れを奪われた後も、私には「死への郷愁」があった。

 早死にを予感していた。現実とは脈絡のない「死」であった。「滅びへの憧れ」めいていた。

 結婚をして家庭を持った。責任を強く意識することとなった。当然のことだ。

 家庭を守る責任、社会人としての責任、企業人としての責任。

 そんな責任感に突き動かされ、毎日の生活に追われた。

 責任を果たすため、「死との闘い」があった。逃れなければならなかった。必死で闘った。

 やがて、責任も少しずつ軽くなってきた。

 同時に、「死の恐怖」も薄らいできた。

 もはや「死は現実」であり、「死は必然」のものとなった。

 親友の幾人かが、すでに冥土へ旅立った。

 悲観的に言っているわけではない。強がりを言っているつもりもない。

 ましてや自棄っぱちを口走っているのでもない。

 身近な必然となった「死」。それを現実のものとして受け止めているだけだ。

「必然の死」とどのように闘うか。どのように迎えるか。

 今までの生き方とこれからの生き方が、強く問われることになるのだ。

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ミサイル破壊命令

2009年03月28日 07時16分10秒 | 身辺雑記

 北朝鮮では、4月4日~10日の間で、人工衛星を打ち上げると予告している。

 しかし国際社会は、弾道ミサイルのテポドンではないかと猛反発。

 以前の例からみて、テポドンの発射なのだそうだ。

 その弾道ミサイルは、日本の東北地方を通過する弾道とか。

 日本政府は「安全保障会議」を開き、ミサイル防衛(MD)システムで迎撃するため、自衛隊に「破壊措置命令」を発令した。

 つまり、日本領土や領海に落下する場合(落下する恐れがある場合)、ミサイルを発射して撃ち落とす仕組みなのだ。

 北朝鮮は、「人工衛星なのに撃ち落とすとは何事か。敵対行為だ!」と怒っている。

 日本やアメリカにしてみれば前例があるので、「人工衛星ですか、ご随意に」とはいかない。

 アメリカも怒っていて、「打ち上げたら国連の安保理委にかける!」と警告しているが、北朝鮮には通用しない様子。

「もし日本の上空で破壊されたら、破片はどのようになるのだろうか?」

 私は様子が不案内なので、そんなことを考えている程度。つまりノーテンキなのだ。

 そんなノーテンキな国民を叱咤するつもりか、都知事が、「間近に落ちたほうが国民に緊張感が生まれる」と言ったのだそうだ。

「この発言が問題になりそうだ」

 あるマスコミは、煽るようなことを言っていた。

 私も東京都知事の発言は過激だと思う。しかし、日本国民も眼を覚まさないといけない。

 このような国防に関することは、秘密事項ではないだろうか。発表することで、国際社会の理解を得ようとしているのだろうか。

 自民党を見ても民主党をみても、国防の問題よりももっぱら政治資金問題。

 困ったものだ。

 石原知事の発言は、国民に対してよりは国会議員に対してのほうが意味がある。

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75歳以上の運転免許

2009年03月27日 06時26分10秒 | 身辺雑記

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 昨年の4月上旬に撮影した木瓜。朱の鮮やかな花であった。今年はまだ行っていない。

 認知症に関する記事だから、木瓜の花を載せたわけではない。

 道路交通法の施行規則が、今年の6月1日から改正されるそうだ。

 その中で、75歳以上の運転免許更新にあたり、「認知機能検査」を行うことが入っている。

 検査の成績が悪く、過去1年以内に違反があれば、医師の検査を義務づけ、認知症と診断されれば、免許取り消しとなるようだ。

 私は今年、免許証の更新となる。75歳になるので、当然その対象者。

 その対象者の立場から言っても、この改正には賛成だ。厳密にやってもらいたい。認知症患者が運転していては、恐ろしくて走れない。形式的でない実施を願いたい。

 先にはじめた高齢者運転講習は、およそいい加減だった。単に6000円を巻き上げる仕組みに過ぎなかったように思う。運転の悪い癖の指摘などがあってしかるべきだった。

 まだまだ運転をしたいと思っているだけに、公的なチェックはしっかりやってもらいたい。当然の社会的な責務だ。

 認知機能検査は3種類あるとのことだが、仮にそこで引っかかるようなら、もう運転は諦める。むしろ、直ちに治療すべきかもしれない。

 そんな歳になったと思うと淋しい。しかし、そこまで長生きできたとも言える。 考えようだ。

 そんな事態になったら、惚けた写真を撮りながら、トンチンカンな五七五でも捻って過ごすことにしよう。

 もちろん私自身としては、まだ認知症になったとは思っていない。

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元気が出た!

2009年03月26日 08時00分56秒 | 身辺雑記

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 もはや旧聞に属する話だが、WBCの2連覇には興奮した。

 所用があって、テレビ中継は見ていなかった。しかし、その瞬間は感得することができた。

 路上を歩いていると、アチコチで「ワーッ」と声があがった。携帯電話で見ていた通行人が、いち早く知って喜んだのだ。

「ヒョットすると、韓国戦で勝ったのかな?」

 内心はそう思った。だが、誰彼なく質問するのも憚れた。

 用事を済ませてタクシーに乗った。

「お客さん、やっぱり勝ちましたねえ!」

 ドライバー氏が言った。こちらから訊ねるまでもなかった。

「勝ったの?」

 一昨日の午後なのだ。こんな私の反応は、非国民かもしれない。

「イチローが打ったんですよ!やっぱりイチローは凄いねえー!」

 ドライバー氏の興奮は、まだ醒めていなかった。試合経過をコマゴマと説明してくれた。

 家に着いて玄関を入ったとたん、

「イチローが打ったわよ!神が降りたンですって!」

 と、わが家のカミさんが言った。涙を流さんばかりの感激。

 どこかのテレビでは、2時間以上が経過したのに、繰り返し試合模様を説明していた。

 老人施設の火災、小沢代表秘書の起訴、成田空港の事故など、気分が優れない話が多かった。なんともやりきれない毎日だった。

 そんな中、侍ジャパンの活躍は嬉しかった。元気をくれていた。ハラハラさせられたり、安堵したりの連続だったが、それだけに、最後の感激はひとしおだったのだ。

 久しぶりに元気になれたWBCだった。

 ありがとう、侍ジャパン!

 今日の写真はタンポポ。元気を振 りまいてくれます。

 別館の写真俳句ブログ「いのちの囁き」は、本日、次のところへ引っ越しました。

 引っ越しに際し、デザインも一新しました。気分を新たに再出発のつもりです。

 今後ともよろしくお願いします。

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 新しいURLは、http://hiyodori.blogzine.jp/inoti/        です。

 

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