寂しさを譬へてみれば蛇いちご ひよどり 一平
(さびしさをたとえてみればへびいとご)
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蛇苺には毒がないとのこと。
しかし、子供の頃から長い間、有毒だと聞かされていた。
後年になって毒がないことを知っても、すぐさま喜んで接することは出来なかった。
名前に「蛇」が付いていたので、気味悪がって、自然に避けていたのだ。
だから、蛇苺は孤独なのです。
寂しさを譬へてみれば蛇いちご ひよどり 一平
(さびしさをたとえてみればへびいとご)
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蛇苺には毒がないとのこと。
しかし、子供の頃から長い間、有毒だと聞かされていた。
後年になって毒がないことを知っても、すぐさま喜んで接することは出来なかった。
名前に「蛇」が付いていたので、気味悪がって、自然に避けていたのだ。
だから、蛇苺は孤独なのです。
鴉との間合いここまで風薫る ひよどり 一平
(からすとのまあいここまでかぜかおる)
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鴉との間合いをとるのは難しい。近寄れば逃げ、素知らぬふりをすれば寄って来る。
相手がどう考えているかは知らないが、私は無視するふりで押し通す。左目で本を読み、右目で鴉を眺めると言った要領だ。
両目を鴉に向けると、鴉はさっと逃げの態勢に入る。
私の説が正しいかどうかは別として、私はそんな感覚で、鴉を撮っている。
さて、人間様との間合いは、どう考えればいいのだろうか。
夏柳釣り師並んでゐたりけり ひよどり 一平
(なつやなぎつりしならんでいたりけり)
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この釣り場では、釣り師がこんなにも集まって糸を垂れていることは珍しい。
ほとんどの場合、彼らは大きく離れて糸を垂らしている。
通常、この写真の上で言えば多くても二人程度なのだ。
しかし今日は、密着して糸を垂らしているばかりか、二言三言、何かを話している様子であった。
新顔の釣り師が加わったのだろうか。あまり見ない光景であった。
じゃがいもの花戦後派の生き残り ひよどり 一平
(じゃがいものはなせんごはのいきのこり)
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昭和二十年八月十五日、日本はアメリカ軍(正しくは連合国軍)との戦争に敗けた。無謀な戦争であった。
当時、私は小学校五年生だった。アメリカ軍の空襲に逃げ惑った記憶は鮮烈だったが、食糧不足もまた強烈なものであった。
その頃、じゃがいもは、貴重な主食であった。戦後派の一方の雄であった。
医院へと行く道筋の枇杷黄ばむ ひよどり 一平
(いいんへとゆくみちずじのびわきばむ)
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大きな道をまっすぐ行く右側に、新しい医院ができた。新しいと言っても、できてから十年以上は経っている。
ここのところ数年来、私はインフルエンザの予防接種をその医院で受けていた。新型コロナのワクチンを接種して貰えるかと思ったのだが、残念ながらしていないらしい。どんな事情があるのだろうか。
そんな道筋の右側に、大きな枇杷の木がある。今年もたくさんの実をつけた。
その枇杷の実が、黄色く色づき始めた。
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自動車の定期点検のため、これから外出する。
しっかり降りそうな空模様だが、予約していたので止むを得ない。
間もなく運転免許証の更新がやって来るが、今度こそ最後の更新にするつもり。