新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

よき友

2014年08月30日 18時46分06秒 | インポート

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  十数年ほど前だったろうか。

  夜もかなり更けたころ、、親しい友人から電話があった。石和温泉で呑んでいる様子。

  「今、『人情酒場の会』を設立することになりました。初代会長はあなたです!」

  突然のことなので、私には状況が掴めない。

  「ウ………?」

  「これから発足の乾杯をするので、音頭をとって下さい」

  電話の向こうでは、ご機嫌にになっている数人の笑い声が上がった。

  こんなことは過去にも幾度かあったので、状況はすぐに飲み込めた。石和温泉の宴会のために、乾杯の発声をすればいいのだ。

  「カンパ~イッ!」

  私の発声のあと、電話の向こうで乾杯の声が上がった。

  そのような経緯を経て、「人情酒場の会」が発足した。

  その後、会の名称を「はらわたの会」と改め、月例的な「飲み会」、ゴルフ、カラオケを楽しんでいる。

  メンバーもかなり増えた。持つべきものは良き友であり良き後輩だ。

  ありがたいと思っている。

  「はらわたの会」の名称は、十数年前に作った私の川柳にちなんでおり、今になってみれば、少しばかりこそばゆい。

  酒二合わがはらわたの処方箋  ひよどり

  当時の私は、医師から、「酒は呑んでもいいですが、適量にしてくださいよ」と言われていた。

  「適量は二合」、と勝手に決めて作った川柳だった。

  しかし当時は、とても2合では収まらなかった。

  それが祟って、今の私は、1合と決められており、今度こそそれを厳守している。  

 

 

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蒙昧な悲観的暴論

2014年08月26日 09時57分45秒 | 身辺雑記

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      ゆく河の流れは絶えずして、しかも、

      もとの水にあらず。

      よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、

      かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

      世の中にある、人と栖(すみか)と、

      またかくのごとし。

   鴨長明による「方丈記」の書き出しだ。

      「水は絶え間なく流れているが、

      つねに元の水ではない。

       水に浮かんでいる泡も、生まれては消え、

       元の泡ではない。

       人も人の生活も、同じようなものではないか」

  私はこの名調子が好きで、つねに「方丈記」を手元に置いている。

  この頃の異常気象や災害のニュースに接し、また手に取りたくなった。

  読み進むにつれて、なぜか安堵感に包まれる。

  「無限の宇宙や地球や、生きとし生けるものすべては、もともと組み込まれたプログラムに基づいて、単に動かされているだけではないのか?」

  「病気になって死ぬことも、手術に成功して生きることも、すでにプログラムに組み込まれているのではないか」

  「今さらジタバタしても始まらないのではないか!」

  まさか「方丈記」にはそのような書かれ方はしていない。

  プログラム云々は、私のヤケクソ的な勝手論だ。

  人類の祖先である最古の猿人は、今から1000万年~700万年前、アフリカで誕生したらしい。  二足歩行を得た先祖たちは、幾つかのルートを辿り、それぞれのルートに応じて進化し続け、今日に到ったのだろう。

  類人猿から猿人に進化したときから、今日までのプログラムが決まっていたのだろうか。

  なぜプログラムなどを言うか、つまり、人類は、余りにも愚かしいことを繰りかえしているからだ。

  過去に学んでいる様子は見えない。災害対策もしかり。戦争もしかりだ。

  ついつい、「人間は滅びの道筋をプログラムに従って歩まされている」と、下らないことを口走ってしまうのだが………。

  しかし我々人類は、過去に学び今後を展望して、勇気をもって、発展の道筋を辿っていかなければならないのだろう。

  かなり過酷なことになるのだが。

  まァ、いいか!それはそれとして………。

  私にとって「方丈記」は、母の胎内に戻ったような安堵感を与えてくれるのです。

  写真は隅田川。遠くにスカイツリーが見えている。

 

 

 

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ギャンブル依存性

2014年08月22日 13時39分42秒 | 身辺雑記

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  厚生労働省の研究班が、パチンコや競馬など成人の依存症について約4000人に面接調査を実施し、その結果を発表した。

  その結果、「病的ギャンブラー」(依存症)は、成人人口の4.8%(男性8.7%、女性1.8%)

の536万人に上るそうだ。

  外国との比較の上では、米国1.58%、香港1.8%、韓国0.8%なので、日本は断然高率と言える。

  ギャンブル依存性は、ギャンブルへの衝動を抑えられなくなる精神疾患の一つ。家族など自分が大切にしていたものよりギャンブルを優先するようになる。

  結果として、仕事や人芸関係が破綻することとなる。

  私も若い頃、競輪、競馬、麻雀、パチンコにのめり込んだ時期もあったが、幸いにも生活や人間関係を損なうこともなく、いつの間にか離れていた。依存症に陥る性格ではなかったようだ。

  いずれにしても、外国よりも依存症が高率な日本人としては、なにがしかの対策を講じる必要があるのかも知れない。

 

 

 

 

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老いらくの恋

2014年08月20日 15時46分12秒 | 身辺雑記

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  以前、「老いらくの恋」という記事をこのブログで書いた。

  昭和23年12月4日の朝日新聞の記事をもとに書いたものである。

  新聞の記事は社会面のトップ。

   「老いらくの恋は怖れず」

   「相手は元教授夫人・歌にも悩み」

   「川田順氏一度は死の家出」

   という見出しで、財界の第一線を退き、歌人として活躍していた川田順氏(当時67歳)と美しい人妻・中川俊子さん(当時39歳)との恋の経緯を報じたのだ。

  「老いらくの恋」とは、順氏の詩「恋の重荷」から取ったものだ。

     恋の重荷(序)

     若き日の恋は はにかみて おもて赤らめ 

     壮子時(おさかり)の四十(よそじ)の恋は 

            かれこれ心配(こころくば)れども

     墓場に近き老いらくの恋は、怖るる何ものもなし 

  順氏はすでに夫人を亡くしていたが、俊子さんは元大学教授で経済学博士の夫人であった。

  いろいろな経緯を辿ったが、周囲に露見することとなり、順氏は自殺をはかったこともあった。

  その過程で新聞記事になったものだ。

  当時はまだ紅顔の美少年だった私(小学生)は、十分な理解が出来ぬまま、親に隠れて記事を読んだものだ。

  その後、さまざまな経緯を辿り、二人は結婚して安穏な生活を送ったそうだ。

  順氏が長逝したのは、昭和41年で享年84歳。俊子さんは平成18年に96歳で死去。

  新聞記事をきっかけとして、当時は「老いらくの恋」が流行語となった。

  果たして今の時代、あれほどの注目を集めることになったかどうか。

  いわゆる有名人が「歳の差婚」などと騒がれたりするが、当時の「老いらくの恋」ほどの騒がれ方ではないように思われる。

  寿命が延びた今も、60代は「老いらくの恋」なのだろうか。

  私の信条に、「老いらくの恋」という概念はない。

  「早過ぎる恋」はあっても、「老いらくの恋」はない。 

  幾つになっても、「恋」は「恋」。胸のときめきに年齢や定年があってたまるものか!

  血気盛んな私であります。

  と、まァ、いくらなんでも、強がりすぎかなァ………?

  いいえ、あくまでもホンキなのです。

 

 

 

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露草

2014年08月18日 21時44分48秒 | 身辺雑記

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  今朝、一週間ぶりに散歩。

  群生の露草が咲いていた。

  一つ一つはきらきら咲いているのだが、その視線は控え目だ。見落としかねない。

  名前の由来は、朝咲いて昼しぼむことから「朝露」を連想し、「露草」となったらしい。ほかにも由来らしき説はあるが、私にこだわりはない。「なるほどなぁ」とは思っている。

 花言葉は、「尊敬」、「小夜曲」。「懐かしい関係」なのだそうだ。それぞれの関連性はわからない。しかしこれもまた、「なるほど、なるほど」と妙に納得。

  好きな俳人の飯田龍太に、次のような句がある。

    露草も露のちからの花ひらく    龍太

 

 

 

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