新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

いつまで不作為か

2007年08月28日 23時54分10秒 | 国際・政治

 戦後60年が経過した。

 しかし、外見は大きく様変わりしたが、真底の仕組みはなかなか変わってはいない。日本という国を意識するのは、スポーツのときだけ。
 独立自尊の気組みなどは、萎えきっている。
 もともと芽生えていなかったのかもしれない。

「満州事変」と「シナ事変」は、閉塞感に苛立っていた国内の気分に後押しされて、軍部の出先機関が突っ走った。天皇の懸念や政府の抑制があっても、軍部は勝手に独走した。突っ走ったのは出先機関だったのか、分からないところもあるように思う。

 昭和20年12月8日、米英との開戦だ。自衛だったのか侵略っだたのか、見解は分かれるところ。

 資源のない日本が、石油やゴムを止められたら、南方に進出して資源確保に努めたくもなろう。これなら、自衛戦争だ。

 そのころの欧米は、アジアに大挙して進出し、植民地化に大わらわ。
 遅れてはならじと日本が進展していっても、不思議はなかった。侵略と言えば侵略だったかもしれない。しかし、結果として、アジアを欧米の搾取から開放したことも事実だった。つまり、大東亜共栄圏への夢に向かって走ったとも言える。

 
 だが、アメリカやイギリスにとってはとんでもない話。日本は黄色い猿なのだから、対等ではありえない。

 日本は初戦はよかったが、もともと貧乏国なのだから、出先に補給も出来ないありさま。「アイシャル リターン」にやられてしまった。

 どんどん押し戻されて、サイパンを獲られては、ほとんど万事窮すだ。
 毎日のような本土空襲。京都と奈良を除き、ほとんどが焼け野原にされてしまった。

 それでも政府は、「本土決戦」とか「一億総玉砕」と言って、竹槍作戦を吹聴していたんだからもの凄い。

 最後は、広島と長崎の原爆投下だ。

 和平交渉はやっていたのに、聞く耳持たず、ヤルタ会談でソ連参戦を促しながら、ピカドンをやったのがアメリカだ。

 8月15日にポツダム宣言を受諾した。

 それから直ぐに、マッカーサーを先頭に、進駐軍がやってきた。

 空襲がなくなって喜んでいたが、GHQによる日本人洗脳作戦は着々と進められた。
 それ以来、「修身」もなくなったし、「歴史」が「社会科」の中に押し込められて、細々。
 つまり、日本文明や誇りが、「悪いこと」として葬り去られたってこと。

 そこへ「東京裁判」だ。
「平和に対する罪」とかで、いかにも日本だけが悪かったような仕打ちだ。喧嘩は両成敗ではなかったのか。

 インドのパール判事のみ頑張ってくれていた。しかし、所詮は多勢に無勢。
 7人が絞首刑となった。
 

 GHQと東京裁判が、日本人の心を押さえつけてしまった。
 もうみんなが、思考停止。

 お仕着せの憲法をありがたがり、「九条さま」と拝んでいる。

 この「思考停止状況」から抜け出さないと、この国は何処へ漂流していくか分からない。

 だからこそ安倍晋三だった。

 仕切り直しで、しっかりやってほしいものだ。

 

 

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信念でズバッ!

2007年08月19日 10時44分01秒 | 国際・政治

Simg_0135t  久しぶりに朝のウオーキング。カメラを肩にぶら下げ、言わば、「撮歩」ってヤツ。

 今になれば外は暑そうだが、朝の内は日照りもなく、ひどい汗でもなかった。シャワーを浴びて朝食。くつろいだ気分になっている。

 テレビでは北朝鮮の核問題を論じていた。

 今朝のウオーキングは、いつもの半分程度のエリアだったので、撮影対象の花も少なかった。

 南瓜の花は、咲く期間が長い。咲いて実をつけ、実を育てながら新しい花を咲かせている。手を入れずに咲かせていると、末のほうの実は、育ちきれないで秋を迎える。

 濃い緑の大きな葉っぱが重なり合っている。小さな棘のある葉っぱの陰で、黄色い花が、精一杯自己主張。隣の花は遠いので、共同戦線も張れない。
 でも、立派だねえ。

 北朝鮮は水害で大変なようだ。南北首脳会談が延びたのは、水害が理由らしい。

 テレビで、北朝鮮の核問題が論じられていた。
 六カ国協議で、北朝鮮の「核の無力化」について協議しており、一応北側も、ハードルを高くしながらも応じている。論者の一人は、「北は濃縮ウランを密かに進めているので、プルトニウム型は捨ててもいいと思っているのではないか」と言っていた。

 北朝鮮のウラン埋蔵量は、世界第二位なのだそうだ。ほかの書き物でも論じられていたので、ほぼ事実に近いのかもしれない。

 核兵器の実用化に当たっては、「輸送可能な小型化」と、「ミサイルの長距離化と着弾精度」が問題となる。
 
 北朝鮮が考える攻撃相手は、日本しか考えられず、「ノドン」は完成しているので、もう準備が整いつつあるということなのだろう。
「平和は絶対善」を説いても納得する北朝鮮ではあるまい。また、密かに応援している国があっても不思議はない。危険度が高まれば、米軍が引き揚げることだってありうる。
 日本は今、ノー天気な議論をしている段階ではないはずだ。

「テロ特措法」反対や防衛省の人事問題など、タイミングと方向性が狂っていませんでしょうかねえ。

 8月27日の内閣改造に、すべてがかかっている。
 先輩や識者の意見は傾聴しつつ振り回されることなく、果断におこなってほしい。
 その時は是非、東京住まい二代目議員や三代目議員は、積極的に外したほうがいい。

 安倍首相が三代目の東京生まれなので、すでに地方感覚もなく、庶民感覚もないはずです。これは安倍さんのせいではない。そんな人を選んだ選挙民の責任であり、自民党員の責任です。
 しかしこの期に及んで、そんなことを言い立ててもはじまらない。しっかりした国家像や歴史観を持っている安倍さんでも、ないモノが多い。
 弱い庶民の感覚が、本当にお分かりですか。
 地方の苦しみを、本当にお分かりですか。
 安倍さんは自分の欠点を弁えたうえで、自分にないモノを持った有為な人材を、周囲に
配置したほうがいい。老若男女さまざまがいい。
 その上で、安倍信念を、ズバッ!と押し出して下さい。

 北朝鮮をはじめ周辺国は、弱くて無定見な日本を狙っている。
 今こそ断固たる信念と行動で、中央突破をしてください。
 この時期の右顧左眄は、国を滅ぼします。 

 
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不作為の日本

2007年08月17日 18時04分08秒 | 国際・政治

 鈴木宗男衆議院議員と佐藤優外務事務官による対談形式の著書「反省」を読んだ。
 

 序文で佐藤氏は、「国民に対する説明責任を果たさないで、本当にすみませんでした。深く反省しています」と書いている。
 

 また鈴木議員も、「過去に私たちが、外務官僚の大きな逸脱を黙認し、社会にとって守るべきでない人や組織を守りすぎてしまったことも、皆さまににお詫びしなければならない」と書いている。

 
 鈴木宗男事件は、田中真紀子元外務大臣の非常識な行動や去就とも絡んで、世間の耳目を集めた。

 

 その後佐藤氏は、鈴木氏を陥れるために図られた「国策捜査」のため、身に覚えのない事件をデッチ上げられたと主張。現在上告中。
 

 両氏の対談では、外務省および外務官僚の能力低下、不作為、自己保身等の構造悪を指弾している。


 今さらそのようなことを言い立てるまでもなく、太平洋戦争勃発時のアメリカ大使館員の意識欠如や不作為の例もあるとおり、日本の官僚機構における不作為や自己保身については、イヤになるほど
見せつけられてきた。
 両氏もそのような構造の一員として、ドップリ漬かっていたのではなかったのかと言いたい。いまごろきれい事を言ってほしくない。


「私は知りませんでした」ならまだ救いはある。しかし、「知っていながら見過ごした」と言っているのだから、両氏を含めた政治家や官僚機構に国の行く末を委ねている国民にとって、こんな悲劇はあるまい。そんな連中に、税金や政治献金が使われていたのだ。

 
 しかも最も重大な問題は、そのような明け暮れの内に、国益を著しく毀損したのだ。「反省します」ですむ話ではあるまい。


 もちろん、我が身の名誉をかえりみずに明らかにしたとなれば、勇気ある行動とも言えるのだろうが、「被告人としての法廷闘争」と解されなくもない。

 
 外務省の機密事項を共産党にリークし、国会質問をさせたことが事実だとすれば、組織の解体的改革をしなければ、今後もまた同様な事態を引き起こしかねない。これでは国賊を飼っているようなものだ。


 そうは言っても、佐藤氏は、異能の人とは言え中間管理職である。組織に対して何処まで影響力を行使できたかは疑問だ。
 問題は鈴木議員だ。「見過ごした」ですむ話ではない。選んだ選挙民にも責任の一端はあるのだろうが、ほとんどは選良たる議員の責任だ。
 外務省の腐敗の実態を知らなかったのであれば、「不明」を問われるし、知っていて見過ごしたのであれば、「背任」に近い。

 
もともと北方領土問題は難しい。なにしろ相手はロシアだ。一朝一夕に進まない。しかし、断固たる国民の統一的意思を示さなければ、国の誇りも実益も失われる。
 彼らの行動や不作為は、そこを大きく損ねたのではなかろうか。

 
 とにかく外務官僚の鼻持ちならないエリート意識と、閨閥を含めた一家意識は、国を危うくする。


 
 北朝鮮X氏と田中均氏の経緯も、田中氏の独断ではなかったにしても、自信過剰のエリート意識が見え隠れする。「オレがやらなければ……」という気概に基づいた行動だったとしても、後々の言い訳がうっとうしい。


 鈴木議員や佐藤氏についても、このような形でしか告発はできなかったのだろうか。日本外交のお粗末な実態が、これが実態だとすれば、外国の思うつぼだ。
「私たち二人がいれば、ロシア警備隊の射殺や拿捕はなかった」と、二人は言っている。外交や国防は、個人レベルの対応で終始していてはならない。そこに利権がなかったにしても、国対国のシステマテイックな対応に早々にレベルアップを図っておくべきだ。

 
安倍内閣による公務員改革が進められようとしている。天下り禁止に主眼を置いているようだが、あれでは天下りは改善されない。言い訳のシステムを作ったようなものだ。
 しかしそれはさておき、官僚機構の見直しを図る意図については、是としたい。このままでは、官僚が栄えて国が滅びる。


「反省」を読んで、つくづく日本の将来に不安を感じた。
 

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靖国神社参拝にかける存念

2007年08月13日 18時00分45秒 | 国際・政治

 間もなく終戦記念日だ。新聞報道では、安倍内閣の全閣僚が、8月15日の靖国参拝を見合わせるのだという。ひとりも参拝しないということは、極めて異例なのだそうだ。

 もともと安倍首相は、「参拝するともしないとも言わない」などと、不鮮明な態度で終始していた。一国の総理が、隣国との問題発生を懸念し、態度を不鮮明にしていていいはずはない。問題先送りの逃げ腰と理解されるだけだ。

 安倍首相はこの際、靖国参拝について、自らの信念を明解にしてほしい。参院選で大敗し、続投反対の合唱の中、あえて渦中の栗を拾う覚悟なのだから、国民に信を問う意味からも、「靖国参拝」について、存念を披瀝すべきだ。ダメ元の開き直りこそ、今の首相には求められている。

 安倍首相がそんな態度なので、他の閣僚も無理をしない方向になってしまうのだろう。つまりは、そんな人たちなのだ。まったく意気地なしだ。

 靖国神社参拝の宗教的意義について論じるつもりはない。宗教的信条や心情の面で、参拝ができない人がいても、それは止むを得まい。

 ただし、隣国に対する配慮で参拝しないのであれば、「単に参拝しない」だけでなく、参拝しない理由を、明確にすべきだと思う。
 このことは首相に対する心情と同じ。
「戦いに倒れた人々の御霊に対し、尊崇の真を献げ、改めて不戦の誓いを新たにするため、私は参拝をしたい。しかしながら、隣国の人々の理解が得られない現段階においては、参拝を差し控えることとする。今後とも、理解が得られるよう努力を惜しまない」、という内容の演説をする。
 または、
「戦いに倒れた人々の御霊に対し、尊崇の真を献げ、改めて不戦の誓いを新たにするため、私は参拝をしたい。しかしながら、A級戦犯の方々が合祀されている現状においては、隣国の理解も得られまいし、参拝を差し控えることとする」、と明言する。

 本来、参拝するかしないかは、内政問題だ。国際的な発言は必要ないのだが、内政問題としつつあえて発言するぐらいのイヤミはやっていい。

「参拝するともしないとも言わない」と言っても、国際的には何の意味もない。
こんな首相では、国民の誇りが失われる。 

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教育は国のアイデンテイテイ

2007年08月07日 19時13分07秒 | 国際・政治

 このごろは少し静かになったが、ひところの教科書問題はひどかった。「侵略」を「進出」に書き替えたのはケシカランと言って、中国と韓国がヨコヤリを入れてきた。もともとは某反日新聞の誤報がキッカケだった。

 それに対し、日本政府は反撃ができないどころか、テキの事実誤認をたしなめもせず、直ぐに詫びてしまうテイタラクだった。
 もともと、教科書にどう書くかは、日本の勝手ではないのか。間違ったことを書いて損をするのは、日本ではないのか。国民に間違った教育をして困るのは、将来の日本なのだ。
 にもかかわらず、鬼の首を獲ったような姿勢で、スッタモンダ。
 対する日本は、「ゴメンナサイ」でコトを納める方向で動いていく。事実を論議もせずに、
摩擦回避が外交だと思っている。

 反面、反日国家やアメリカは、将来の反日国民育成のために、あるいは非人道国家の国民と思わせないために、勝手な教育をしている。
 そんな反日国家やアメリカに対し、日本は抗議をしない。できないでいる。

 南京虐殺問題について、中国やアメリカに定説があるのかもしれないが、少なくとも日本には、すべてを認める段階にない。日本にも反論はある。にもかかわらず、日本は、一切、抗議も問い合わせもしていない。

 広島・長崎の原爆投下について、アメリカの若者たちは、「戦争を早く終わらせるためにやったこと」とか、「アメリカ兵の戦死者をこれ以上出したくなかったので、原爆を投下したのだ」と言ってはばからない。他人の痛みは痛くないからね。
 しかし、日本は、抗議はしていない。
 当時の日本は和平を求めていたのだが、その交渉には乗ろうとせず、「生体実験」的でかつ、「無差別大量虐殺」の原爆投下をしたのだ。非人道的この上ない行為なのだ。
 しかし日本は、一切抗議をしていない。

 もっとも、愚かで軽率な元大臣が、「原爆の投下は、ソ連参戦を回避するためにやったことで、しょうがなかった」、と演説している国なのだから、呆れた話なのだが……。昭和20年2月11日、アメリカ、イギリス、ソ連3国による「ヤルタ協定」で、ソ連の参戦は決まっていたのだ。大臣ともあろう方が、「ヤルタ協定」を知らなかったとは思えない。

 中国政府による国民洗脳も徹底を極め、日本軍の残虐行為を教え込んでいる。各地の戦争資料館で、様々な教育宣伝をおこなっている。しかし、日本が抗議した話は聞いたことがない。

 私は、アメリカや中国の教育に対し、抗議をすべきだと言っているのではない。各国の見識で国民を育成しようとしているのだから、いちいち目くじらを立てるのは如何かと思っている。教育は内政問題なのだ。外国がくちばしを差し挟むべきではない。

 ひるがえって言えば、日本の教科書にイチャモンをつけてもらいたくないのだ。抗議をされてもはねつける日本政府であってほしいのだ。

「歴史認識が間違っている国民は、ふたたび侵略や虐殺をする恐れがある」と言いたいのだろうが……。サッカー場における中国フアンの愚行は、どのように説明するのか。

 国民教育は、優れて内政問題なのです!

 

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