昨日は経団連会館で、恒例の賀詞交歓会。
多くの人たちと年始の挨拶ができた。このようなパーテイの二つ三つに顔を出せば、挨拶すべき人のほとんどの方に会える。便利な仕組みだ。お互いに訪問しあっていた昔を考えれば、とても楽になった。
終了後に、KさんとTホテルで歓談した。皇居や日比谷公園を上から眺めながら、のんびりした時間を過ごした。
話題があっちこっちと飛び跳ね、些末な愚痴から国際情勢にまで及んだ。「及んだ」などと立派そうに言ったが、つまりはとりとめのない話だった。
そんな雑談の過程で、「配偶者に対する感謝の表し方」の話題となった。
カミさんに対し、私は感謝の言葉を言ったことがない。さりげなく言ったりはしたが、果たして気持ちが届いたかどうか、とても心許ない。Kさんもそんな様子だった。
「いまさら言えないんだよなー」 これが二人の心境なのだ。
しかし、Kさんはアイデイアを持っていた。古希を迎えた当日、ノートに感謝の気持ちを書き残そうという考えだった。死んだ後になって、遺品を整理する段階で読んでもらおうという魂胆のようだった。彼は私よりも若く、古希はこれからだった。
「言わないよりはいいかもしれないが、死ぬ前に伝えるほうがいいなァ」
自分では実行できていないくせに、私は生意気なことを言った。
「誕生日の当日、正々堂々と言ったほうがいいンじゃないか」
「それが言えるンなら、とっくに言っているよねェ」
Kさんが言い、「そりゃァそうだ」 と私が言って、二人とも大笑い。
細かいところに気が回る彼なのに、奥さんに対する感謝の気持ちを、十分に表していないらしい。
「オレだけじゃないんだ」 私は少しばかり安堵した。
沢山の苦労をかけながら、私は感謝の気持ちを伝えていない。少しは言ったかもしれないが、伝え切れていない。まだまだ不十分だと思っている。
今ごろ言えば、「あらっ、病気かしらっ」 と、余計な心配をかけてしまう恐れもあった。
言葉に表したとたん、「感謝の気持ち」が妙に歪んで伝わったりしたら、元も子もない。
カミさん以外の人になら言える言葉も、相手がカミさんだとうまく言えない感じなのだ。
なんとも不器用な男たちだ。
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