寒晴やビル林立の空狭し ひよどり 一平
(かんばれやびるりんりつのそらせまし)
・・・・・・・
今日もまた、ひょんな思い付きで新宿へ。
昨夜の話題の成り行き上から、合羽橋へ行こうと思い立ったのだが、空の色に惹かれて足は新宿御苑へ向かった。
強い風もなく、まあまあの日和だった。
・・・・・・・
寒晴やビル林立の空狭し ひよどり 一平
(かんばれやびるりんりつのそらせまし)
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今日もまた、ひょんな思い付きで新宿へ。
昨夜の話題の成り行き上から、合羽橋へ行こうと思い立ったのだが、空の色に惹かれて足は新宿御苑へ向かった。
強い風もなく、まあまあの日和だった。
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私にとって
夏は 戦争の季節
あの夏の夜 アメリカ海軍の艦砲射撃を受けた
梅雨明け間近かの
昭和二十年七月十七日の深夜だった
ピカッ! 閃光が走った
学校のすべての窓ガラスが 閃光に脅えて鳴った
ビリビリッ! ビリビリッ!
続けて ドッカーンと大砲の音
「これは爆撃ではねえ!艦砲射撃だ!」
誰かが叫んだ
「山へ逃げろ!」
土砂降りの雨の中 私たちは走った
母は 弟の手を引いた
私は 妹を抱っこした
ひたすら 走った
閃光の明かりを頼りに ひたすら走った
走った 走った 走った
行く先は 山のトンネル
多くの人々が すでに逃げ込んでいた
どこかで 子供が泣いた
「泣かすなー!」
大人が怒鳴った
蚊帳を身にまとった男が 震えていた
誰も笑わなかった
みんなから 笑う気力が失せていた
次の朝 少しだけ事態が分かった
被害を受けたのは 日立市の軍需工場だった
その二日後 私たちの町は 焼夷弾爆撃を受けた
町の大方が 燃えてしまった
私にとって 夏は 戦争の季節
国民学校五年生の夏だった
別館として、写真俳句ブログの「ひよどり草紙」を開いてます。
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九十八歳の母親が言った
「この子はこの歳になっても
一人でおトイレに行けないンですよ」
言ってから 口を開けて笑った
顔いっぱいが 皺だらけになった
七十七歳の息子は思った
(何言ってンだい
一人でトイレに行けなくなったのは
母ちゃんのほうじゃないか)
息子は思ったが 何も言わずに口を開けて笑った
母親と同じように 皺だらけの顔だった
あめんぼういのち浮かべてさりげなし 鵯 一平
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あの頃 この海で
私の少年期が 広がっていた
あの頃 この浜辺で
私の少年期が 光っていた
都会の片隅で 六十年余りが過ぎた
いろいろなものを 拾ったり 捨てたり
そんなことの繰り返し
いつの間にか 「私」が何処かへ消えてしまった
この海に 「私」がいるかもしれない
誰かが言ったので 密かにやって来た
だが そんなことはなかった
そんなはずはなかったのだ
海は わざとらしく波を打ち続け
浜は 神経質に砂を鳴らした
そんな中 浜昼顔が 薄い眼差しを向けてくれた
温かい顔だった
ふと あの日の少女を 思い出した
「そんなもの 捨てておしまい!」
耳元で 険しい鬼の声
振り返ったら あれっ、あの日の母がいた
(写真は旧友H.I君の提供による)
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ゆうべのサッカーは 惜敗だった
なのに 不思議に 納得できた
だから 不思議に 納得できた
よく頑張ってくれた!
感謝の思いが強い
かつてのあの罵声は 何だったのか
今朝は 讃辞の声 声 声
PK戦のことなど もう どうでもよかった
あれは神の思し召し
あの闘いを見て 私は 心が満たされた
あの闘いが 私に 勇気を与えてくれた
あの闘いによって 私は 寛容を知った
すべてが報われるわけではないのだ
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