新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

日本国の矜恃と主張を忘れなく

2010年10月30日 09時30分56秒 | コラム・エッセー

「中国、首脳会談を拒否」という文字が、各紙の一面で躍った。

 ベトナムを訪問中の菅首相と温家宝中国首相による首脳会談が、会談の直前になって、突如中止となった。中国側の一方的な拒否であった。外交上の異例の仕打ちと言っていい。

 中国側の発表によると、「日本側が首脳会談の雰囲気を壊した。責任は日本側にある」と発表している。当面、会談の予定はないとのこと。

 慌てたのは日本側だ。尖閣問題が落ち着き始め、やっと首脳会談の運びとなった矢先だったのだ。

 なぜそのような事態となったのか、日本政府側は、「分からない、分からない」と慌てている状況。もちろん、「尖閣諸島問題」が根幹にあることは間違いあるまい。

 もうこうなったら、慌てることはない。首脳会談は手段であって目的ではない。首脳会談を開くことに汲々とし、日本国の矜恃と領土問題の主張を貫いてほしいものだ。

 はてさて、菅総理や仙谷官房長官にその覚悟があるかどうか?

 彼らを初めとする菅内閣に、いかなる国家像や国家観があるのか、私はいささか不安を感じているのだ。心配で、心配で仕方がない。

 中国という國は、「中華思想」に凝り固まっている一党独裁の國であること、くれぐれもお忘れなく。

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萎れても華

2010年10月29日 06時57分01秒 | 身辺雑記

 この季節は、「総会」やら「懇親会」が多い。

 なかでも、仕事関係の延長線上にある集まりは多い。あれやこれやを数えると、両手が必要だ。しかしリタイアした今、何のこだわりもなく「欠席」に○をつける。

 しかし、私が会長を仰せつかっている集まりだけは欠席できない。血の濃いのやら薄いのやらはあるが、否やを言える立場にない。欠席するくらいなら、初めから役目を受けなければいいのだ。

 同窓会やクラス会も多い。みんな郷愁を感じる季節なのだろうか。

 ある雑誌を読んでいたら、「同窓会不倫」というのがあるのだそうだ。お互いに家庭を持ち、それぞれにお城を構えている。そのような男女は、逃げ帰るお城があるので、冒険をしたがるらしい。同級生が相手なので、お里が知れている安心感も働く。

 冒険心の多さと強さは、断然女性のほうだそうだ。常々抑圧されていたものが、気心が知れた安心感が働き、つい爆発するのだろうか。これは実体験ではない。書かれたものの受け売りだ。だから、真偽についての責任は持てない。

 折角の機会だから、実体験に触れたい。

 10年ほど前にご主人を亡くした親しい60代女性に、「恋人はできたかい?」と訊ねてみた。答えが奮っている。

「私に興味を示すのは、60代から上なのよねえ。嫌になっちゃうわ~」

 見事に煙幕を張られてしまった。

 煙幕を張られた私から見て、60代半ばの男性には、萎れたとは言え、まだ華がある。

 言っちゃぁ悪いが、女性の場合だって60代そこそこまで。孫の話題で盛り上がっているようでは、華は萎れかねない。

 孫の話を悪いと言っていない。「華がほしい」と言っているのだ。

「華って何?」という質問が出そうだ。これにはきっと、それぞれの尺度があるに違いない。私にとっての「華」は単純だ。「声をかけたくなる何か」がほしい。年齢でもない。孫の話でもない。声をかけたくなる何かなのだ。 

 男は身勝手なのだが、いつまでも女性には華があってほしい。

「お茶でもいかがですか?」と、ふっと声をかけたくなる気分にさせてほしい。

 もっとも、こちらは爺さんだから、断れるのは承知の上なのだが。

 もちろん、若さは重要な要素だが、もっと肝腎な何かがありそうだ。

 カミさんにもそれを求めたい。

 かく言う私自身は、萎れたどころか、形そのものが朽ちてしまった。

 かなり身勝手な話を並べたてた。非難はもとより承知の上。

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蛇穴に入る

2010年10月28日 10時47分00秒 | 写真俳句・エッセー

 俳句歳時記に、「蛇穴に入る」という季語がある。

 晩秋から初春にかけて、蛇は地中に入って冬眠生活を送るらしい。私はこの目で見たことがないのだが、多くの蛇が地中で絡み合い、暖をとっているのだという話を耳にしたりする。

 いずれにしても、冬眠に入る前の蛇は、食欲が旺盛なのだそうだ。蛙や卵をしこたま貯め込んで、それから地中生活に入るらしい。その状況が、「蛇穴に入る」という季語になったのだろう。

 中には、晩秋を迎えても穴に入らない蛇がいる。腹が十分に膨らまないのか、寒さに強いのかはあずかりしらぬ。歳時記では、そのような状態を、「穴惑ひ」と言って滑稽味を出している。

 歳時記を見たところ、例句としては、正常に「蛇穴に入る」状態となった句よりも、もたもたと遅れている「穴惑ひ」のほうが多い。俳人たちは、ドジな「穴惑ひ」に俳味を感じたのだろうか。

     穴に入る蛇あかあかとかがやけり   沢木欣一

     しんじつの草の根沈み蛇は穴へ    金子兜太

 一方、優柔不断な「穴惑ひ」の例句は多い。やはりドジのほうか滑稽であり、哀れを感じるのかもしれない。

     はにかみのちらとわれ見て穴まどひ   森 澄雄

     耳遠き世はこともなし穴まどひ      奥野桐花

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          信念も情念もあらず穴まどひ   鵯 一平

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蓮舫大臣の不見識

2010年10月26日 10時05分08秒 | 身辺雑記

 昨日、参院予算委を漫然と眺めていた。緊迫感はあまりなかった。

 蓮舫大臣の写真撮影問題では、すこし面白い展開となった。

 質疑が幾度か中断された。再開されては、また中断という状況だった。

 もともとの問題は単純だった。

 某ファッション雑誌の依頼を受けた蓮舫大臣が、300万円相当の高価な洋服を着て、国会内で写真撮影をしたという事柄だった。

 問題になったのは、2~3週前の参院予算委だったと思う。

 ① 神聖であるべき国会において、その行為は問題がなかったか?

 ② その際、雑誌社等から報酬を受け取ったか?

 前の予算委において、①について、「参院事務局の許可を受けた」とか、「事務局の示唆を受けて<撮影理由>を書いた」などと答弁したので、問題化してしまった。

 今日の質問者は、自民党の森まさこ議員。

 紛糾する内、森議員も蓮舫大臣も、事態の本質や論議の方向が分からなくなった様子。事態を大きくしていったのは、自民党の応援団だった。

 途方に暮れた蓮舫大臣と追及方向に戸惑った森議員。

 結果として、委員長が、「議事録をよく読み直して、問題のありかを整理する」といった内容の発言で、その場が納まった。

 残っている問題点は次のようなものではないか。

① 写真撮影というその行為は、議員活動として妥当だったか。

② 「事務局の示唆を受けて、撮影目的を記入した」という事実はあったのか。

  それとも、大臣が自ら判断をして書いたのか。

  (事務局の示唆を受けて書いたとなると、責任を他に転化したことになる)

③ 「事務局の示唆を受けて」という事実がなかったのなら、委員会で嘘を言ったことになるのではないか。

 今後は、そのような内容の議論になりそうだ。

 円高だとか雇用難だとか、あるいはデフレや待機児童などが問題になっているのに、大臣が300万円の洋服を着て写真を撮ったとなれば、ヤッカミも加わり、厄介なことになるのは当然のこと。大臣の見識が疑われて当然だ。

 それにしても、謝礼の問題が論じられないのは不思議。 

 いずれにしても、「事業仕分けの女王様」がこのありさまで、どんな仕分けをしようというのだろうか。

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小沢一郎ってどんな人?

2010年10月25日 07時21分59秒 | コラム・エッセー

 小沢一郎氏が起訴される段階となったようだ。

 もちろん、小沢氏側としては、起訴阻止の手段を講じているに違いない。

 菅氏との代表選を戦っていた折、「検察審査会の結果による強制起訴は受けるか?」との問に対し、当時の小沢氏は、「受けて立つ」ことを表明していた。

 その後、代表選に敗れ、検察審査会では「起訴相当」の結果となった。

 政治の世界をはじめ世の中では、親小沢か反小沢か、今もって論議が揺れている。

「起訴された」だけでは、「推定無罪」の原則があるので、離党勧告もできず、まして政界を引退する話にはならない。それどころか民主党内には、「政倫審」(政治倫理審査会)への出席にすら異論が出ている。

 小沢氏に対する見方は二つあるようだ。

 一つは、巨悪という見方だ。極端に言えば、「政治とカネ」問題の権化で、早く消えてほしいという意見。

 もう一つに、「民主主義の旗頭」として、彼を担いでいる意見もある。インターネットのあるサイトを覗けば、「小沢待望論」が強く論じられている。官僚、検察、マスコミの横暴は、小沢氏の豪腕をもって以外、排除できないという意見だ。

 果たしてどちらが正しいのだろうか。

 小沢氏の「政治とカネ」問題に関し、検察当局は「起訴には当たらない」という処分を行ったのだが、検察横暴論の人たちは、「秘書を起訴したこと自体が不当」と論じている。

 正直の話、私は具体的な中身を承知しているわけでもなく、マスコミ報道で感じている程度だ。真相は分からない。詳しく知ろうとも思わない。

 確かに官僚の壟断は許せない。検察の横暴やミスも、目に余るものがあった。マスコミの権力化には危機感を感じていることも事実だ。

 しかし、官僚、検察、マスコミと闘う旗頭は、真に小沢氏だけなのだろうか。大いなる疑問を感じてしまうのだ。

 昨日行われた衆院北海道5区の補欠選挙で、自民党の町村氏が当選した。北教組違法献金問題で辞任した民主党小林前議員の補欠選挙だったので、民主党候補に票は集まらなかった。当然のことだと思う。

 かつて自民党が掲げていた「政治とカネ」の看板は、今や民主党の表看板となったようだ。

 日本の政治は混迷を極めている。菅総理の舵取りも怪しい。

 そのような中、小沢氏の「政治とカネ」問題が、依然としてくすぶり続ける日本だ。

 小沢一郎氏って、ほんとにどんな人なのだろうか。

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