新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

かりそめの女傘

2015年01月30日 16時37分43秒 | 身辺雑記

 テレビは、夕べから雪の予報を出して大騒ぎ。

 どうせたかが知れていると思っていたら、午前中に確かに降ることは降った。

 いっときは積もる気配すらあった。

 しかし、午后3時ごろには、すでに溶けはじめていた。気温が上がってきたらしい。

 このような雪は、「淡雪」と表現したい。なんとも儚い雪だ。

 ところが、俳句歳時記では、「淡雪」、「牡丹雪」、「綿雪」は春の季語。春に入ってから降る雪で、すぐに溶けてしまうヤツ。

 立春を過ぎなければ、まだ春ではない。

 それが俳句のいいところ。

    淡雪やかりそめにさす女傘   日野 草城

 なんとも言えぬ風情が伝わってくる句だ。

 直ぐに溶けてしまう雪と「かりそめの女傘」に、やがて来る別れを予感させられるではないか。

 この男女、さほどドロドロした間柄ではなかった感じ。「淡雪」のニュアンスがもたらす効果かもしれない。

 繁華街や盛り場といった雰囲気は似合わない。都心から少し離れたところ。

 時間帯はもちろん夜。深夜ではなく、8時から9時ごろがいい。

 小粋な小料理屋からの帰り道でどうだろうか。「女傘」はもちろん女将さんのものだ。

 女将さんの年齢は40代のはじめ。男は50代半ばがいいところかな。

 「女傘」の色は何色がいいか?いかになんでも、赤系は合わないなァ。すっきりした感じの淡い紫色ってところでどうか?

 書き始めたらキリがない。妄想はとめどないので、今日のところはこのあたりまで。

 男を送り出した女将さん、きっとひとり酒かもしれない。まるで演歌だね。

 

 

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なんとかならないか!

2015年01月29日 20時28分25秒 | 身辺雑記

 過日のこと。

 昼頃、珍しく散歩に出ました。つまり、手術後の脚の訓練です。

 神社の境内の一角に、いろいろな祈願の絵馬が納められておりました。

 これから受験シーズンなのですね。

 私自身の受験生時代のことは、あらかた忘れてしまいました。思い通りにいかなかったことだけが、鮮明に記憶されております。

 あの頃からしばらくして、「受験戦争」などという言葉が流行り出しました。

 なんでも競争、競争の時代が続きました。

 「グローバル化」という言葉に煽られ、学校の受験も会社経営も、超競争時代に突入しましたね。

 「生きるか死ぬか!」

 「会社統合」とか「合併」とか「会社の縮減」とか………。

 「社員の働き過ぎ」もひどかったなァ。

 なにしろ、低賃金の近隣国労働力との競争にされされたのだから、とても敵わない。

 「働き蜂」という言葉どころか、「過労死」という言葉も流行った。

 バブルが崩壊し、アメリカのサブプライムローンも破綻。

 いろいろありましたねェ。

 その結果かどうかは別として、今は「格差社会」です。

 これから更に、格差が拡大するのかもしれません。

 「超富裕層」が拡大し、一方では「貧困層」も拡大しそうです。

 人間の性がもたらす結果なのでしょうか。

 「みんなで上手に分配しようよ」なんて、不可能なことのようです。

 そんな夢のようなことを考えていたら、もはや抹殺されそうな気配があります。

 地球規模でどんどん狂っていくようです。

 

 

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主語と述語あとは愚痴

2015年01月28日 16時35分59秒 | 身辺雑記

 年を経るごとに、万事、言い方がまわり諄くなった。

 同じことを伝えるにしても、誤解がないように配慮するため、かえって複雑にしてしまうのだ。

 仲間同士のことであれば、言い換えも訂正もできる。

 夫婦の間の会話は、糸が縺れると始末に負えない。補足すればなおさら深に入ってしまう危険がある。

 公園を散歩していたら、水仙が咲いていた。

 私に何かを伝えたいらしい。口々に喋りだすので、聞き分けることは出来なかった。

    水仙や主語と述語とあとは愚痴    ひよどり

 

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酒飲みの作法

2015年01月24日 11時26分23秒 | 身辺雑記

 暑いと言っては呑み、寒いと言っては呑む。口惜しくて呑み、嬉しくても呑む。

 酒呑みってヤツは、どんなことでも呑む理由になる。呑む理由にしてしまう。つまり融通無碍であり、器用と言えば器用。

 でも、作法がないわけではない。しかし、それはまた人それぞれだ。

 「嬉しい酒」であれば、あまり難しいことはない。「よかった、よかった」と言い合って、底抜けに嬉しがっていればいい。

 「悲しい酒」は面倒だ。しみじみと悲しみを噛みしめて呑むことになるのだが、トコトン落ち込んでいいわけではない。

 呑みながら、誰かがどこかでキッカケを捉え、プラスへ転換させなければならない。

 「そうだったんだってねえ、辛いよなァ………」

 「アイツより何倍も生きてきたくせに、なんにも気づいてやれなかったなんて、オレは自分が許せねえんだ!」

 「そうだよなァ、親だもんなァ。何年も親をやってたんだもンなァ」

 「………」

 「………」

 「………」

 「でもさァ、オレから見れば、十分にやっていたように思うぜ」

 「十分なもんか!」

 「確かに、十分ではなかったかも知れない。しかし、精いっぱいやっていたじゃないか!おれはお前ほどはやれない!」

 「………」

 「オレはオマエを尊敬する。オレはオマエを見習いたい!」

 「………」

 「さァ、もう少し呑もう」

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幾度目かの青春

2015年01月17日 16時27分10秒 | 身辺雑記

 先日、「高齢者の運転免許の厳格化」について、警察庁から発表があった。

 内容としては、「認知症の進行具合の確認を強化する」というものであった。

 免許保有者10万人あたりの死亡事故件数は、年齢層別でもっとも多いのだそうだ。

 高速道の逆走というケースも、高齢者が多い。

 老化による支障は、こと自動車運転に限らない。日常のあらゆる面において生じてしまう。

 私はすでにその年代。自動車運転では問題を起こしていないが、日常生活のミスの多いこと。

 身体的な弱体化は若い頃からだったが、その上に老化が重なった。無惨とでも言おうか。

 脳や精神面においても、例外ではないはずだ。密かに自責の念に駆られることもしばしば。

 判断のミスもあり、早トチリも多い。しかも、自説に拘るのだから始末が悪い。

 周囲の人たちの温かい配慮に甘えて、なんとか日常を過ごしている。感謝の言葉以外にない。

 かねてから尊敬し、私淑していた俳人が、主宰していた俳誌を閉じ、以後は姿を見せなくなった。

 よそ目には元気としか見えなかったのだが、選句の限界を悟っての引退だったのだろうか。

 そう言えば、私も俳句が作れなくなって久しい。頑張ってはいるのだが、気分のいい句はできない。

 今さらエンジンの取り替えも、真空管式コンピュータの取り替えは不可能だ。

 年代物の真空管式コンピュータを使い、ガタビシの躯体を使って、心地よい日常を送ることにしたい。

 老化とはかくなることなのか。

 写真は葉を落としきった冬木の影。

 春になれば、この樹木には活力ある葉や花が戻ってくる。

 私は私なりに、旧型躯体を使って、幾度目かの青春を取り戻したいものだ。

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