新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

福山騒動は健全の証し

2015年09月30日 18時41分12秒 | 身辺雑記

 一昨日、福山雅治さんの結婚がニュースとなった。

 それからが大騒ぎ。あらためて彼の人気の凄さを知った。

 世間ではさまざまなドタバタがあったが、菅官房長官の発言は、彼らしくなく軽率であった。

 福山雅治さんと吹石一恵の結婚について問われ、菅官房長官が、

 「ママさんたちが一緒に子供を生みたいとか、そういう形で国家に貢献してくれたらいいなと思っています。 たくさん生んで下さい」

 と発言したらしい。

 深く詮索するほどのことではないが、やはり穏当を欠く発言であったことは間違いない。

 子供を生み育てることは、結果として国家への貢献とはなる。しかし、国家への貢献を目的として子作りに励むのは妙だ。

 子供を生み育てるのは、男と女にとって、「子孫を残したい」という本能だ。国家に貢献するために子作りをするわけではあるまい。

 さまざまな支援は、父や母たちに対する国家としての応援策なのだ。国も国民も穿き違いたくないものである。

 それにしても、福山結婚騒動は凄まじい。

 今日の午後、床屋さんへ行った。

 福山結婚に対する若オカミの反応は面白かった。

 「吹石さんなら許しますよ!私もあの人には負けます!」

 あっけらかんと言いのけた若オカミの反応に、私も思わず大笑いした。

 ちなみに、若オカミは42~3歳。3人子持ちの末っ子が、今年の春に高校に入学した。

 この明るさがある限り、日本はまだまだ健康だ。

 会社を早退したOLや炊事を放棄したママさんの存在は、日本が健全である証しなのではないか。

 写真は五百羅漢の一像。頭を抱えて煩悶しているのだろうか。

 

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八十路ゴルファーの悩み

2015年09月29日 09時22分49秒 | 身辺雑記

 今さらどうにもならない悩みなのです。

 つまり、ラウンドはおろか練習もしないのですから、スコアが落ちるのは当たり前のこと。

 病気と病気の合間を見つけて、ラウンドしようという心得が間違っているのです。

 ところが、不遜にもそのようには思わない。

 「こんなはずではなかった!」

 とにかく、スタートのところから後ろ向きでした。

 日頃ならドライバー(1W)を使うべきテイーショットの場面で、クリーク(5W)を持ち出す自信のなさ。

 まずはスタート以前から間違っていたのです。

 練習していないから、自信がない。

 結果は言わずとも知れています。つまり、メタメタの有様でした。

 後日、「シニアになったら素直に学べ」というゴルフ本を読んでみました。

 副題に、「71歳のエージシューターが明かす脱アベレージ術」とあったのですから、私とはレベルの異なる話だったようです。

 幾つかについては共感できました。

 曰く、「スプーン(3W)は持って行くな」とか、「距離が短くなったら、転がせ」などなど。

 いずれにしても、練習あるのみということのようです。

 近々コンペが二つあります。

 臆面もなくどちらにも参加の申し込みをしました。

 残された幾日かを有効に使って、練習場に行くつもりです。

 迷惑をかけたくない一心です。

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わが秋思

2015年09月28日 20時39分00秒 | 写真と俳句

 

 季語に「春愁」がある。

 さほど深刻な物思いではない。

 心浮き立つ春なのに、どこか捉えようのない悲しみを感じてしまう。それが春愁の本意らしい。

 つまり、根源的な苦悩とは違うらしいのだ。

   春愁や鮃の顔に目がふたつ   草間 時彦

   春愁の渡れば長き葛西橋    結城 昌治

 一方の「秋思」は、軽くは扱えない思いらしい。

 人生の寂寥、生存の悲しみから生まれる物思いであり、根源的な心の揺らめきが「秋思」の本意だとか。

 「存在と時間」を考えたハイデッカーや「存在と無」を論じたサルトルと似た思いだろうか?

 と、まァこんなことまで言えば、大げさなハナシではあるが。

 上の写真はチンパンジー。まさしくこれは「秋思」だ。

 ひとり釣り糸を垂れている男性の背中に、言いようのない寂寥感が漂っている。

 深い悩みがあるわけではないのに、ただただ心が晴れない。虚しいのだ。

 (聞いたわけではありません。念のため)

   竿先を日がな見詰めし秋思かな   ひよどり

 考えたって埒が開かないのに、何時しか虚しさを覚えてしまう秋思?

 いっそのこと、家中の灯りを点けてしまおうか!

    家中の灯りを点しわが秋思    ひよどり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「水の秋」に挑んで

2015年09月27日 19時46分53秒 | 写真と俳句

 カメラを持って散歩した。今日のテーマは季語の「水の秋」。

 「水の秋」は秋の水。秋になって次第に澄んできた水のことなのだが、「秋の水」よりは感覚として「水」にウエイトがかかった感じ。

 そのつもりで自然公園へ行った。

 「水の秋」であれば、濁っていてはいけない。波が立っていてもいけない。

 上の写真は、まだ緑を残している芦の根方を狙った。未草と映り込んだ芦の茎を撮った。 

 水が澄んでいるような雰囲気が出ていない。

 

 反対側の岸から撮った。良く映り込んでいるが、秋でなくてもいい。

 

 いっそのこと、魚影を入れようと思った。

 ところが、とんだ騒ぎが始まった。

 どんな理由があったのか知らないが、大きな緋鯉1匹と2匹の真鯉が接触し、バシャッと跳ねた。餌を投げたわけではない。

 どう考えても、この姿は秋とは言えないのではなかろうか。

 やむを得ないので、過去の画像に助けを借りることにした。

 上は、湯の湖。季節は10月。

 上は湯川の一枚。出水の後の雰囲気があり、「水の秋」とは言えないかもしれない。

 

 上は湯川での一枚。

 澄んだ水だが、秋を特定出来ないではないか。

 難しいものだ。

    墓守を譲りて今や水の秋   ひよどり

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入り口から違っていた安保論

2015年09月26日 16時47分24秒 | 政治・経済

 国中を湧かせた安保法制論が、スッキリしない形だったが決着を見た。

 今になっても、強行採決だとして、民主党や共産党をはじめ野党が騒いでいる。来年の参院選で逆転させようと戦術を練っているようだ。

 国会論戦で繰り返された中身のカラッポさには呆れたが、国民の側としては、がっぷりと組み合って議論をしてほしかった。

 かかる事態に陥ったのは、「戦争反対」、「九条守れ」を叫び続けた野党の的外れな論議が悪かったが、その場凌ぎの政権側の議論の進め方も稚拙極まりなかった。

 安全保障に関する本質論や危機の認識論から論議をしてほしかった。

 アメリカに押しつけられた憲法かどうかは別として、現行の法制で国を護ることが出来るや否やの議論が欲しかったのだ。

 いきなり「集団的自衛」の議論ではなく、中国の台頭や北朝鮮の問題から考えて、現在における日本の力(外交力や軍事力)で、領土・国家・国民を守り切れるのかという整理が必要だったのではないか。

 つまり、「自分の身を自分で護るために、我々はどのようにすべきか?」という論議が欲しかったのだ。

 中には、「現行憲法の平和主義があれば、日本は今後も平和を維持できる」という論議があっていい。

 「そんな夢みたいなことがあってたまるか。対抗力がなければ、瞬く間に蹂躙されてしまう。それが地球社会の現実だ」

 そんな反論があり、自衛力の増強が必要かどうかという議論に繋がっていく。

 核武装していない日本が、単独で外圧に対抗できるのか。

 核兵器を持たない日本が、どのようにして国を護ればいいのか。

 なんと言っても、日本にとって中国の台頭は大いなる脅威だ。

 脅威に対処するためには、個別的な自衛力の増強を図りつつ、その上で、「核抑止力」を中心とした「集団的自衛力」を強化するという方策で論議しなければ、言葉遊びや理想論ごっこで終わってしまう。

 もちろん、「九条があったから、戦後70年の間日本は平和だった」と思っている人には、世界の現実を見てもらう必要があるのだが。

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