菜の花と蜂 平成19年1月27日
昨年1月27日、さいたま市内の畑で撮影。
小さな蜂が、花にかじり付いて、密を吸っていた。おだやかないい雰囲気です。
1月13日の日曜日から、両国国技館で、大相撲初場所が始まった。
トラブルが続いた大相撲なので、客の入りが気がかりだったようだが、大入りだったので、関係者は一様に胸をなで下ろした。
12日の夜から13日にかけ、大相撲の入りについて、幾つかのテレビ番組が取り上げていた。
どのように聞いていても、「大入りでよかった、よかった」というだけの番組作りではないように思われた。腹に一物がありそうだった。
実は私も同じ見解だ.。
朝青龍が戻ってきて、客の入りが満員になって、朝青龍が優勝したのでは、大相撲は更に乱れるに違いない。
種々のトラブルは、週刊誌による「朝青龍の八百長」を告発することからスタートした。
大相撲の改革や相撲協会理事の人事などにも絡んでいたようだが、そのあたりは、我々のような一般の相撲フアンには見えにくい。
よく見えたのは、朝青龍による「巡業サボタージュ事件」だった。
腰痛が悪化したことを理由に、地方巡業を休み、あろうことかモンゴルへ行って、サッカーに興じていたというのだ。
さすがに動きの鈍い北の湖理事長も、重い腰をあげざるを得なかった。
「高砂親方の問題だ」などと言いながらも、「2場所の出場停止」を決めた。
「モンゴルには行かせない」と誰が言ったとか言わなかったとか云々されたが、朝青龍は強引ともいえる行動力で、モンゴルへ行ってしまった。
しかも病気を理由に、何の説明も弁明もしなかった。
その間、高砂親方(元大関朝潮)が、朝青龍と協会の間を行ったり来たり。
時折は記者会見で汗をかいて、みっともないったらありゃしない。
師弟関係や長幼の序など、微塵も感じられなかった。
つまり、親方の権限も指導力も、相撲協会の権威も、朝青龍には通じなかったのだ。
文化が異なるとしか思えない。
もっと感情的に言えば、すっかりバカにされたわけである。
横綱審議会も妙だった。単なるその場凌ぎの事なかれ主義だった。問題を先へ送っただけ。
その後、時津風部屋のリンチ殺人事件が発覚し、相撲人気はさらに低落。
モンゴル出身の白鵬が横綱でいたので、やっと形だけを繕って2場所を過ごした。
もちろん、相撲人気は低落し、空席が目立った。
そこへ朝青龍のご帰還となった。
2場所の出場停止が済んで、12日から本場所で相撲をとることになったのだ。
当分の間相撲人気は戻らないだろうと思っていたのに、それどころか、初日、二日目と大入り満員ではないか。
入場している客にマイクをむけると、「朝青龍を見たい」という声が多かった。
あれほど大相撲文化をコケにして、詫びも弁解もせずにモンゴルへ帰ってしまったのだ。見たいというファン心理が理解できなかった。
日本の大相撲復活のために、ボイコットしても良かったのではなかったのか。
かく言う私も、時々はテレビをチラチラ。
初日の朝青龍の勝利に対しては、「イイゾー」という歓声と「ウヘー」という落胆の声があがった。
朝青龍に勝たせたくなかったような声もあった。
二日目の昨日、横綱朝青龍が、平幕の稀勢の里に負けた。
平幕の稀勢の里に無様な負け方をした。
客席から、沢山の座布団が飛んだ。
私はコチコチの頑固者なのかも知れないが、まだ朝青龍を許せない。
北の湖理事長の態度も高砂親方の曖昧さも許せない。
そんなことだから、朝青龍自身も、自分のどこが悪かったのか、ファンに何を詫びるべきなのか、ほとんど認識出来ていない。
「どうも済みませんでした」で済ませている。誰に何を詫びたのか?
高砂親方や北の湖理事長ですら、大相撲の問題点と朝青龍騒動の根っこを理解できていないように思える。
天皇賜杯を賜る日本の国技を標榜するのであれば、日本の文化としての大相撲を継承して行って欲しいのだ。
八百長があることは承知している。スポーツでない伝統行事なのだから、底流にさわやかな美学(怪我人をそっと支えるような)が流れてさえいれば、ある程度の八百長は黙認してもいい。
しかし、朝青龍の傍若無人な行動はもとより、舐められている親方や相撲協会理事長の不見識には猛省を促したい。
本来は辞任すべきだったのだ。
あなた方は、農耕民族の日本に根ざした伝統的な神事を、破壊しているのですぞ!
それはとりもなおさず、日本文化の破壊に繋がり、日本人の「心」のありようを踏みにじることになります!
だから、私は許せないのだ。
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