新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

虎落笛(もがりぶえ)

2008年01月31日 09時00分32秒 | 写真俳句・エッセー

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傷痕を揺すりに来るか虎落笛(もがりぶえ)

 入院中、病室の窓からガラス越しに撮った。小雪がぱらついていたのだが、持ち合わせのカメラでは捉え切れていない。(カメラのせいにするのだから、いい気なもの)

 今年の1月中旬は、関東南部も、例年に比して寒い日が続いた。

 もちろん、東北、北陸や北海道とはくらべるべくもないが、誰もかれもが口を開けば、「寒いねえ」と言った。

 そんな中、幸いにも(?)私は入院生活だった。

 私は大の寒がりだが、病院内でチンマリしていたので、寒さを感じることはなかった。

 毎日通ってきたカミさんや妹にとっては、雪も降ったし、大変なことだったようだ。

 とは言え、私にはガンの切除手術があった。

 先月の粘膜剥離術と違って、全身麻酔のうえで臓器を切り取ったのだから、それなりに大ごとではあった。

  傷痕を揺すりに来るか虎落笛(もがりぶえ) 鵯 一平

 院内にいては感じられなかったが、風も強かったようだ。

 寒い風が吹き荒れているとき、風が立木や鉄塔などにあたって、ヒューヒュー鳴ることがある。

 歳時記ではそのような風の音を、虎落笛(もがりぶえ)と言っている。

 病室では寒さも風の音も感じられなかったが、手術後の傷の痛みに、私はヒューヒューと鳴る虎落笛の寒さを感じた。  

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更新を再開します

2008年01月30日 12時18分59秒 | 身辺雑記

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ホトケノザ  2007年2月12日

 掲出のホトケノザは、昨年2月、日溜まりに咲いていた。時期的に考えれば、すこしばかりせっかちなホコケノザだったようだ。

 やはり寒さは感じているらしく、首をすくめているような風情。

 今年はまだそこへ見に行っていない。

 昨日の午前中、雀躍として退院。

 今まで多くの病歴を重ねた私だが、今回ほど考えさせられたことはなかった。

 病院を信ずればの話だが、質の異なる原発のガンが、異なる二つの臓器にほぼ同時に発生していたのだ。

 幸いにも早期発見だったので、片方は12月に粘膜剥離術、もう一方は今回の臓器の一部摘出で切除できた(はずである)。

 必然性の低い思いつき的な検査依頼の結果、二つのガンが発見された。

 まさに幸運だったとしか言いようがない。

 ガン細胞は、萌芽してから臓器に病変が現れるまでには、十数年かかると聞いている。

 それが真実であれば、私の身体の中で、十数年前、二つのガン細胞がそれぞれ異なる臓器で萌芽していたことになるではないか。

 さらに悲観的なことを言えば、ほかに成育中のものがあっても不思議はない。

 運命論を言い立てるつもりはない。

 しかし、「見えざる力によって生かされたのかなあ」と、しみじみ感じている。

 だからこそ、いつ終息を迎えるかもしれないことも実感している。

  更新していない「ほろ酔い気分」だったにもかかわらず、訪れて頂いたうえ、「ポチッ」として下さった方々に、心よりお礼を申しあげます。 

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勝手に自画自賛!

2008年01月17日 07時15分02秒 | 身辺雑記

 2枚の写真は、平成19年2月9日、市内グランドで撮影した紅梅。

 暖冬の影響だったのか、例年よりも早めの開花だった。

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紅梅(2)   2007年2月9日

 晴れた日だった。

 青空をしっかり入れようと思いながら、重大な失敗から、薄ぼんやりの青空になってしまった。

 美しく咲いた紅梅の背景は弱すぎて、緊張感のない写真になった。

 今年こそしっかり撮りたい。

 2枚目は、花一つひとつの表情を捉えようとして、思い切り近寄って撮った。

 まずまずの出来映えだったと、自画自賛している。

 自画自賛など、ブログでなければできないこと。

 これぞブログの効用だ。

 入院加療のため、明日からしばらくの間(うまく行けば10日間ほど)、ブログの更新を休みます。

 紅梅が咲くころには、また再開するつもりでおります。

 その節は、従来同様のご厚誼を賜りますよう、心からお願い申し上げます。        ひよどり拝記

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寝床で信心?

2008年01月16日 08時29分35秒 | 写真俳句・エッセー

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映像の除夜に寝床で手を合わせ

 とても信仰心が厚いとは言えない。言うつもりもない。

 そのことは承知しているが、さればとて、決して無信仰ではない。

 神仏を敬う気持ちは、十分に持っている。

 暮れには、

    十二月鎮守にお礼申しあぐ  鵯 一平

 と詠んだ。

 洒落や冗談ではない。

 年の暮れともなれば、神仏にお礼の気持ちを表したい。

 その思いを句にしたものである。真底偽りのない心情である。

 生来の横着者なので、初詣はしていない。

 高校入試の年にしただけだ。この時は、合格祈願だった。

 繰り返すことになるが、私は神仏を敬う気持ちは強いつもり。

 お願いごとよりは、感謝の気持を表したい。

 形に表していない信仰では、ほんものではない、と言われれば、返す言葉はない。

 だが、神仏を敬う気持ちに偽りはない。

 毎年大晦日の深夜、テレビで、除夜の鐘と初詣の実況放送がある。

 たとえ紅白歌合戦を見なくとも、寝床の中で、その実況放送は見ている。

 そして、厳かな気持ちで、新年を迎えている。

   映像の除夜に寝床で手を合わせ  鵯 一平

 神仏に思いが届いていると信じているところ、その思いこみは凄い。

 勝手気儘な信仰とお笑いか? 

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伝統文化を守ろう!

2008年01月15日 09時48分34秒 | 身辺雑記

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菜の花と蜂  平成19年1月27日

 昨年1月27日、さいたま市内の畑で撮影。
 小さな蜂が、花にかじり付いて、密を吸っていた。おだやかないい雰囲気です。

1月13日の日曜日から、両国国技館で、大相撲初場所が始まった。

 トラブルが続いた大相撲なので、客の入りが気がかりだったようだが、大入りだったので、関係者は一様に胸をなで下ろした。

 12日の夜から13日にかけ、大相撲の入りについて、幾つかのテレビ番組が取り上げていた。

 どのように聞いていても、「大入りでよかった、よかった」というだけの番組作りではないように思われた。腹に一物がありそうだった。

 実は私も同じ見解だ.。

 朝青龍が戻ってきて、客の入りが満員になって、朝青龍が優勝したのでは、大相撲は更に乱れるに違いない。

 種々のトラブルは、週刊誌による「朝青龍の八百長」を告発することからスタートした。

 大相撲の改革や相撲協会理事の人事などにも絡んでいたようだが、そのあたりは、我々のような一般の相撲フアンには見えにくい。

 よく見えたのは、朝青龍による「巡業サボタージュ事件」だった。

 腰痛が悪化したことを理由に、地方巡業を休み、あろうことかモンゴルへ行って、サッカーに興じていたというのだ。

 さすがに動きの鈍い北の湖理事長も、重い腰をあげざるを得なかった。

 「高砂親方の問題だ」などと言いながらも、「2場所の出場停止」を決めた。

 「モンゴルには行かせない」と誰が言ったとか言わなかったとか云々されたが、朝青龍は強引ともいえる行動力で、モンゴルへ行ってしまった。

 しかも病気を理由に、何の説明も弁明もしなかった。

 その間、高砂親方(元大関朝潮)が、朝青龍と協会の間を行ったり来たり。

 時折は記者会見で汗をかいて、みっともないったらありゃしない。

 師弟関係や長幼の序など、微塵も感じられなかった。

 つまり、親方の権限も指導力も、相撲協会の権威も、朝青龍には通じなかったのだ。

 文化が異なるとしか思えない。

 もっと感情的に言えば、すっかりバカにされたわけである。

 横綱審議会も妙だった。単なるその場凌ぎの事なかれ主義だった。問題を先へ送っただけ。

 その後、時津風部屋のリンチ殺人事件が発覚し、相撲人気はさらに低落。

 モンゴル出身の白鵬が横綱でいたので、やっと形だけを繕って2場所を過ごした。

もちろん、相撲人気は低落し、空席が目立った。

 そこへ朝青龍のご帰還となった。

 2場所の出場停止が済んで、12日から本場所で相撲をとることになったのだ。

 当分の間相撲人気は戻らないだろうと思っていたのに、それどころか、初日、二日目と大入り満員ではないか。

 入場している客にマイクをむけると、「朝青龍を見たい」という声が多かった。

 あれほど大相撲文化をコケにして、詫びも弁解もせずにモンゴルへ帰ってしまったのだ。見たいというファン心理が理解できなかった。

 日本の大相撲復活のために、ボイコットしても良かったのではなかったのか。

 かく言う私も、時々はテレビをチラチラ。

 初日の朝青龍の勝利に対しては、「イイゾー」という歓声と「ウヘー」という落胆の声があがった。

 朝青龍に勝たせたくなかったような声もあった。

 二日目の昨日、横綱朝青龍が、平幕の稀勢の里に負けた。

 平幕の稀勢の里に無様な負け方をした。

 客席から、沢山の座布団が飛んだ。

 私はコチコチの頑固者なのかも知れないが、まだ朝青龍を許せない。

 北の湖理事長の態度も高砂親方の曖昧さも許せない。

 そんなことだから、朝青龍自身も、自分のどこが悪かったのか、ファンに何を詫びるべきなのか、ほとんど認識出来ていない。

 「どうも済みませんでした」で済ませている。誰に何を詫びたのか?

 高砂親方や北の湖理事長ですら、大相撲の問題点と朝青龍騒動の根っこを理解できていないように思える。

 天皇賜杯を賜る日本の国技を標榜するのであれば、日本の文化としての大相撲を継承して行って欲しいのだ。

 八百長があることは承知している。スポーツでない伝統行事なのだから、底流にさわやかな美学(怪我人をそっと支えるような)が流れてさえいれば、ある程度の八百長は黙認してもいい。

 しかし、朝青龍の傍若無人な行動はもとより、舐められている親方や相撲協会理事長の不見識には猛省を促したい。

 本来は辞任すべきだったのだ。

 あなた方は、農耕民族の日本に根ざした伝統的な神事を、破壊しているのですぞ!

 それはとりもなおさず、日本文化の破壊に繋がり、日本人の「心」のありようを踏みにじることになります!

 だから、私は許せないのだ。

  

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