新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

中国救援について

2008年05月31日 08時07分24秒 | コラム・エッセー

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 昨日、午後3時頃、やっと雨が止んだ。庭のドクダミを撮るつもりで待っていたので、さっそく庭にでた。日が暮れかけていたが、撮影には支障ない。

 花びらに雨滴がのっていた。しかし、葉っぱの上に雨滴はなかった。早く乾いたのだろうか。

 カメラを構えていたら、蟻がドクダミに這い昇ってきた。匂いのきついドクダミでも、蟻は平気らしい。

 蟻の目的はわからない。花心を昇ったり降りたりしていたが、やがて姿を消した。

 今朝からの報道によれば、自衛隊機による救援物資の空輸を、中国側が断ってきたらしい。中国指導部が、自衛隊機に対する国内の反発に配慮したとのこと。

 町村官房長官の記者会見でも、同じような趣旨のコメントがあった。

 日中両国政府の協議で決まったことだろうが、中国内の反日感情の深さを再確認した。 

 インターネットの書き込みが中国の世論だ。拒否姿勢の書き込みが多かったのだろう。

 日本政府の対応には苛立ちを感じる。悪いのは官邸なのか外務省なのか。

 テレビ報道で見ても、被災地の惨状は凄い。外務省なら、在中大使館を通じて、より具体的に把握していたはずだ。いや、当然、把握していなければなるまい。

 把握した状況に応じて、救援体制を整えるべきではなかったのか。両国関係が微妙なら微妙なほど、より戦略的かつ積極的な対応が必要だった。

 この際に行うべきことは、迅速に救援物資を輸送することだった。人的支援は拒否されるかもしれないが、物資を送るべく準備を先行すべきだった。

 テント、医薬品、食糧。誰が考えたってわかること。どうして準備しておかなかったのか。依頼を受けてから集めているテイタラクに、隣人としての誠意は微塵も感じられない。

 自衛隊機で行くか、民間機をチャーターするかは、その先の話だった。

 この際だから、是非自衛隊機で輸送したい!

 その気持ちはわかるが、戦略的に考えたとき、ギラギラとそれを表面に出していいわけはない。案の定の反発だった。

 中国としても、アレはイヤだ、コレにしてくれと言わず、より早い対応を求めたほうが得策だと思う。書き込んでいる人は、罹災して苦しんでいる人ではないだろうから、このようなことになるのかもしれない。

 それにしても、と、もう一度言いたい。日本の対応は遅い。救援しようという「熱い心」があったのなら、早く準備しておくべきだった。テントが不足していることは、とっくに分かっていたはず。求められてから集めるスローモーぶりには、いつもながら残念に思う。

 戦略性の乏しい日本の政治体制と官僚機構に、またもや大きな失望を覚えた。

 町村長官の記者対応にも、醒めた様子が見える。なにかがあるのだろうか。ひょっとしたら、首相と官房長官の行き違いがあったのかもしれない。

 私は中国にいい感じを抱けない。しかし、今は違う。あの苦しみを見れば、その感情は別として、日本政府の早期対応を求めたい。

 これから、恒例の外出です。

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後悔の泉

2008年05月30日 09時32分00秒 | 写真俳句・エッセー

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後悔を閉じこめしまま牡丹散る

 

 私の胸の中には、後悔の泉がある。

 生まれて以来の後悔が、泉の表面に浮かんでいたり、水中に漂っていたり、底に沈んでいたり……。ひょっとしたら、生まれる前からの後悔もあるかもしれない。

 後悔は次々に生まれる。際限なく生まれる。ひどいときには、分単位で生まれたりするのだからたまらない。

 思い出したくない後悔もある。思い出すだに恥ずかしい後悔。

 好きな女学生に手紙を渡したくて、家の周りをうろついたこと。

 喧嘩の成り行きで、無抵抗だった同級生を殴ったこと。今なら、「いじめ」と言われかねない。

 兄弟たちの苦労に気づかなかったこと。

 上司の苦衷に思いが至らず、執拗に逆らったこと。

 仕事を言い訳にして、家庭を顧みなかったこと。

 飲み過ぎて大ごとを引き起こしてしまったこと。これなど、いまも具体的内容は言えない。

 節酒に努めれば、病気をしないですんだかもしれない。

 この歳になっても、引きも切らずに後悔しているのだから情けない話だ。

 もっと優しい気遣いをすればよかった。もっと早く詫びるべきだった。親身になって、悩みを聞くべきだった。あんなこと、言わなければよかった。

 そんな後悔の多くは、泉の中を漂いながら、いつか消えてしまうようだ。時間が私を救ってくれている。

 しかし、いつまでも表面に浮かんでいて、ぎらぎらと光っている後悔もある。

 底に静かに沈んでいて消えることはないが、滅多なことでは思い出さない後悔もある。

 なにしろ、後悔のほとんどは、もう取り返しがつかないのだ。取り返しがつかないから後悔となって残っている。

 ひたすら、忘却を願うのみ。

 もう初夏に入り、梅雨の雨音も聞こえ始めた。

 あれほど激しさと妖艶さを極めた牡丹が、もう散っている。

     後悔を閉じこめしまま牡丹散る   鵯 一平

 愚痴やら駄句をお読みいただき恐縮に存じます。

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整理整頓の効用

2008年05月29日 09時08分30秒 | 身辺雑記

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  荒れ地や林の中で、幾種類かの野草を追っかけました。

 カラスノエンドウはその中の一つです。

 行儀よく二つの顔を揃えて咲いていました。似たもの姉妹だったので、パチリ。

 この花たちの多くは、黒いサヤになっています。

 写真は、今日の記事とは関係がありません。

 

 早朝から雨だった。今も音を立てて降っている。

 今日は仕事場へ行く予定にしているので、雨には気が重い。

 私は整理整頓が大の苦手だ。苦手というより、むしろ嫌いだ。だいっ嫌い。

 もともと整理しようという気持ちが働かない。

 パソコンに向かっているこの部屋は、狭いながらも私の書斎なのだが、現在、大乱雑状態となっている。 

 机の上には本が乱雑に置かれている。プリンターの上にも本。

 床の上にも、カメラ、本、カバン、薬袋などが放置されたまま。

 カミさんにしてみれば、おおいに気になる光景らしい。時々、私の不在時を狙って、掃除機をかけたりする。

 ありがたいことだ。だが、本の所在が不明になったり、メモがなくなったりする。

 あれっ、ここにあったはずの……?

 だからこの部屋は、原則として治外法権。不法に侵入されると、勝手が違ってくる。

 時折は意気消沈することがある。気が晴れない。すべてが面倒くさい。何をする気にもならない。

 そのような時、決まって部屋の状態は大乱雑。つまりシッチャカメッチャカの様相。

 意気消沈しているから乱雑になるのか、乱雑だから気が晴れないのか。そこのところの因果関係ははっきりしない。

 はっきりしていることがある。

 捨てるものを捨て、部屋を整理整頓すれば、気持ちが晴れるのだ。

 つまり、意気消沈の特効薬は、整理整頓。

 私の場合の整理整頓は、ドンドン捨てることが基本である。  まず捨てること。捨てなければ、次の行動には入れない。

 捨てるもののトップは本。書棚は3部屋に分散されており、それぞれの部屋が乱雑状態となってしまう。

 捨てると言っても本なので、業者に引き取ってもらう。

 捨てた後、残ったものを保管し直す。

 その時点になれば、疲れてきていて、作業続行が厭になってきている。

「ここまでやれば終わったようなもンだ!」

 ほとんどの場合、ここで作業は打ち切り。

 中途半端のようだが、気持ちとしては完了気分になっている。

 意気消沈していた気分もだいぶ晴れて、徐々にフアイトがよみがえってくるのだ。

 整理整頓の効用が現れる。

 今はかなり乱雑となっている。一両日の間には、整理整頓をしなければならない。覚悟を決めよう。

 狭い庭では草が増えてきている。

 ドクダミ、オニタビラコ、イヌタデ(花はまだ)etc

 いずれ整理しなければならないが、これも苦手の筆頭クラスだ。 

 書き連ねたクドクドを、お読みいただき恐縮に存じます。

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男の純情

2008年05月28日 07時20分49秒 | 写真俳句・エッセー

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芍薬の頷くを見て頷けり

 晩春から初夏にかけて、牡丹が咲き、芍薬が咲き、同時に薔薇も咲きます。

 豪華な花づくしですね。

 「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」

 いつ頃から言われ始めたのか知りませんが、美しい女性を喩える花3種。

 立ち姿の芍薬、座った姿は牡丹で、歩く姿を百合の花としております。

 不勉強な私にはその理由がわかりません。

 正調「さのさ」の「花づくし」でも、同じように唄われていて面白いです。

       ♪ 花づくし 山茶花 桜に水仙花

       寒に咲くのが梅の花     

          牡丹 芍薬 ねえ 百合の花

          万年青(おもと)のことなら 南天 菊の花   ♪

 こんな調子で、やはり、牡丹、芍薬、百合の花が唄い込まれています。

 若い頃はよく唄ったものでした。しかし今は、風呂の中で唄うのがせいぜいです。

 私見を申し上げれば、牡丹の豪華な美しさや激しさに比べ、芍薬の美しさは、高貴な感じ。しかし、どこか恥じらう雰囲気があってつつましやかに見えます。

 百合の花はずっと異なり、無垢の美しさでしょうか。

 控え目な私でも、牡丹の挑戦的な激しい美しさに、たじろぐことはありません。

 見つめられれば、眼を据えて見返すこともできます。年の功とでも言うのでしょうね。

 しかし芍薬に対しては、なすすべがありません。見つめられれば眼を伏せてしまうに違いないのです。

 頷いたような微かな顔の動きにも、つい頷いてしまいそう。

   芍薬の頷くを見て頷けり     鵯 一平

 70代半ばに手が届こうというのに、まるで純情。

 風に揺らぐ芍薬に、いちいち頷き返している私です。

 お笑い下さいますな。男って、幾つになってもそんなものではありませんか。

 このような戯れ言をお読みいただき、恐縮に存じます。

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今ごろ品格?

2008年05月27日 08時44分32秒 | 写真・エッセー

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 大相撲夏場所千秋楽の横綱対決で、朝青龍と白鵬が睨み合う醜態があったとか。

「横綱の品格の問題」だと言って、力こぶを入れている評論家や解説者がいた。

 もはや相撲に愛想つかしていた私は、その取り組みを見ていなかった。昨日になっても映像を流している放送局があったので、見る機会を得た。

 なるほど、これはひどい。が、いままで朝青龍がよく見せていたこと。驚くにあたらない。

 つまり、負けて四つんばいになった白鵬に対して、朝青龍が両手で「駄目を押した」のだ。

 ついムッとなった白鵬が、敵意むき出しにして朝青龍を睨んだのだ。いつも通りのことをしていただけの朝青龍にしてみれば、ちょっと面食らった感じ。

「駄目を押した」朝青龍とムッとなった白鵬に対して、「横綱としての品格」がないとなった。

 私としては、「何を今さら」といった思いである。

 昨年朝青龍は、腰痛の理由で巡業をサボリ、モンゴルでサッカーに興じていた。それがバレてのスッタモンダ。

「横綱の品格」についてはあの時点云々された。しかし相撲協会や横綱審議会は、大騒ぎをしながらも手を打たなかった。私などは、あの時「廃業届」を出して引退かと思った。ところが、幾場所かの「出場停止処分」でお茶を濁し、フアンもそれを許した。

 あの時から私は相撲を見なくなった。

 横綱の品格を問うなら、指導や処分をおろそかにした相撲協会や相撲界全体も、品格を問われなければならない。フアンにも責任の一端はあるかもしれない。

 朝青龍の「駄目押し」は、今に始まったことではない。日本古来のゆかしさ」や「優しさ」や「礼儀作法」が、一つ一つ失われて行く。情けないが仕方がない。それを尊いと思う人が少なくなったのだ。

 いやしくも「国技」を標榜するなら、たとえ「興行」だとしても、古式に則った「品格」があったはずではないか。まして、横綱は最高位。品格の象徴的な地位にあるのだ。

 勝てばいい式のサッカーやボクシングとは違うのだ。

 今ごろになって騒ぎ立てるマスコミもおかしい。

 何につけ、マスコミの騒ぎは一過性。思想や信念よりも、視聴率や売り上げ部数が優先なのだ。およそ見識がない。

 写真は花菖蒲の蕾と蜻蛉(平成17年6月撮影)。分をわきまえたお互いの品格を称えたい。

 何の遠慮もなく羽根を休めている蜻蛉を、さりげなく支えている蕾のおおらかさ。

 自然界の品格を感じる。

 しょうもない繰り言を、お読み下さりありがとうございました。

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