新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

漂っているだけ

2009年11月30日 05時48分00秒 | 身辺雑記

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 なぜブログを始める気持ちになったのか?

 今になって振り返ってみて、必ずしも判然としていない。

「簡単にホームページが作れる」という謳い文句に、流行もの好きの私が、あっさりと取り込まれたのかもしれない。

 平成19年4月のころだった。

 その年の12月、二つのガンが発見され、暮れと正月にかけて、切除手術をおこなった。 

「こんなことの繰り返しで、人は死ぬのかもしれないな」

 あのころの私は、痛切にそうに思った。

 せめてもの記念として、ブログ「ほろ酔い気分」を書籍化しようと思い立った。

 出版されたのは、去年(平成20年)の9月だった。

 ところが、死ななかった。ブログ作りに励まされた面があったようにも思う。

 ガンの経過観察は続けているが、今のところ、再発の様子はない。

 欲張りな私は、写真俳句ブログの「いのちの囁き」にまで手を広げた。臆面もない。

 つまり現在は、二つのブログに追われている。

「追われている」と思うなら、どちらかを止めればいい。いっそ、二つとも止めてもいいのだ。

 ところが、そのようにはならない。

 二つのブログが漂っているのだ。強い意思とも言えずに、なんとなく漂っている。

 しばらくは、このまま継続するつもりだ。 

 写真は、小川を流れている枯れ葉。もはや自分の意思ではない。ただ漂っているだけ。

 晩年を生きる一つの形かもしれない。

 別館として、写真俳句ブログの「いのちの囁き」を開いてます。

 ご覧いただけると嬉しいです。

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いきほいあるものは貪欲ふかく

2009年11月29日 07時07分00秒 | 身辺雑記

「いきほいあるものは貪欲ふかく、独身なるものは、人にかろめらる」

「方丈記」の中に、このような記述がある。

「勢いのある豊かな者は、さらに富むことを求めて貪欲になり、身に何ものもない者は人々に軽んじられる」

 そのように読み解いていいのだろう。つくづく納得できる内容だ。

 ここのところ時折、政治とカネの問題が報道される。

 報道が事実とすれば、「いきほいあるものは貪欲ふかく・・・」ということなのだろうか。

 しかも、いずれの事案も、今に始まったことではなさそうだ。

 にもかかわらず、今になってネタとなるところが、直面する病巣の一つかもしれない。

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やはり似たもの兄弟

2009年11月27日 08時11分27秒 | 身辺雑記

 昨日は叔母の葬儀。

 95歳で逝ったこともあって、参列者の胸にも深刻な思いはない様子。

 読経を待つ合間に、ポンポンと肩を叩かれた。

「・・・?」

 振り返ったが、知った人ではない。私と同年配らしい女性(つまり老女)。

「先日はお世話様になりました」 笑顔とともにその老女は言った。

「・・・?」

 私はその老女を憶えていない。初対面としか思えないのだ。

「え・・?ムニャムニャ・・?」

 そんなとき、私は応対が下手だ。もっとスマートに対処すべきかもしれない。

 そこへ離れた席にいた弟が跳んできた。

「○○さん、どうも・・・」  弟にとっては旧知の人だった。

 その老女が、キョトンとした表情になった。

「これ、私の兄貴なんです」

「え・・?、あら、まあ、どうも失礼しました。それにしても・・・(モグモグ)」

 同じ顔を晒している私たち兄弟のほうが、どうやら失礼なことらしい。

 間もなく、導師が入場してきた。 

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照り映えつ

2009年11月26日 05時23分00秒 | 写真俳句・エッセー

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 母が他界したのは、昭和33年。48歳であった。

 息を引き取ったのは、未明であったが、翌朝早く遺体とともに家に戻ったとき、家中の掃除をしてくれていた叔母がいた。その叔母は、母の妹であった。

「汚れていては、お母さんが恥ずかしいからね」 

 そのときの叔母の姿が、今も私の胸に、明瞭な形で残っている。

 2ヶ月余の入院生活の果て、母は帰らぬ人となったのだ。

 だから、家の中は乱れたままであった。私たちには、そこまで気が回っていなかった。

 その叔母が逝った。享年95歳であった。

 身体は弱っていたらしいが、寝込むことはなかったとのこと。

 夕食後、そのままコロリとなったらしい。大往生と言っていいのではなかろうか。

 母が死んでから、もう52年も過ぎ去った。

 母と叔母は、あの世で、すぐに会えるものなのだろうか。

   照り映えつ紅葉落葉となりにけり  鵯 一平

 今日は福島県で、葬儀が営まれる。

 これから出かけることとしたい。

 ご訪問やコメントが遅くなりますこと、どうかご容赦くださいませ。

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事業仕分け

2009年11月25日 05時51分00秒 | コラム・エッセー

 22年度の国家予算を編成するにあたり、政府・与党で「事業仕分け」を行っている。

 税金の使い方をより効果的にするため、事業の中身を精査しているのだそうだ。

 過去の政権では、一度も行われていなかった。

 公開しているため、これがすこぶる面白い。

 攻めるより守る方が難しいことは分かるが、それにしても、省庁側の説得力のなさには、呆れ果てた。戸惑っているのかもしれない。

 もちろん、自信を持って説明している説明者もいたが、おおかたは仕分け人側に負けている。おずおずしていて、喧嘩にならない。

 仕分け人側としては、「国民目線」という常套句が使える強みがある。

 昨日から、第二段目の仕分け作業に入った。

 判断に悩む事業が目白押し。

 大向こうばかりを意識せず、日本の現在と将来を見据え、大所高所に立った判断をしてほしい。

「過去の政権は悪!」と叫ぶのは恰好いい。

 予算をバッサリと削減すれば喝采が起きる。 

 しかし、未来に禍根を残してはならない。

 民間人の使い方には、若干の心配はあるが。

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