新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

鯛焼きが好き

2011年01月31日 07時20分00秒 | 写真俳句・エッセー

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 私は酒好きのくせに、実はかなりの甘党でもあります。

 和洋を問わず、甘いモノが大好きです。

 厳密に言えば、干菓子よりはアンコもののほうが、断然いいですね。つまり、庶民派です。

 大福、温泉饅頭、どら焼きなど、すぐに手が出ます。ただし、薄皮饅頭となると、ちょっと怯みます。

 出来たての今川焼き、鯛焼きなどには、すぐに食らい付きたい気分になります。

 とは言っても、この頃は、餡の中に塩分が沢山入っているような感じがするので、抑え気味にしています。(塩分が沢山入っているというのは、気分のせいでしょうか?)

 昨今、プチ鯛焼きが大流行。あの程度の餡であれば、カラクチの人でも食べられそうですね。

     抜け道の角を曲がれば鯛焼屋   鵯 一平

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鴨の日向ぼこ

2011年01月29日 18時40分45秒 | 身辺雑記

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 私がよく行く公園の池に、今、沢山の鴨が越冬しています。

 探鳥家によれば、6~8種類の鴨なのだそうです。

 鴨は「浮き寝」をするものとばかり思い込んでおりましたが、彼らも芝生の上がいいらしく、日向ぼこやら昼寝やらをしていました。もちろん、他の多くの鴨は、池の中におります。

 面白いことに、一様にお日様に向かって座っています。写真で見るごとく、太陽は左側の方にあり、影が右に流れています。

 太陽に背を向けているのは、ただ1羽のみ。どんな事情があったのでしょうか。

 どの世界にも、はみ出しものがいるようです。

 今夜はサッカーのテレビ観戦です。

 ただしキックオフが午前零時過ぎなので、起きていられるかどうかが問題です。

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「老」について

2011年01月28日 06時40分02秒 | コラム・エッセー

「老」という言葉を考えてみた。

 言うまでもなく、「幼」に対する言葉で、「老」は老いたこと。

「老人」、「老女」、「老骨」、「老妻」、「老嬢」などは、老いた人を表す言葉だ。

 転じて、「老醜」、「老衰」、「老耄」、「老残」、「老眼」など、老いたことによる身体的、精神的な状態を表す言葉に使用されている。仕方がないことだが、どう考えてもマイナスイメージだ。

 一方、更に転じて、「老獪」、「老巧」となれば、永年の経験を巧みに活用するによって得た強かさを表しているようにも感じられる。これとて、あまり褒められた言葉とは言えない。

 言葉の好き嫌いを語ってはいられない。私はすでに「老人」であり、「老骨」であり「老眼」もかなり進んでいる。もちろん、きっと「老残」を晒しているに違いない。

「老」は避けられずに背負っている現実だ。「老獪」では困るが、「老練」とか「老巧」などの術を駆使して、迷惑をかけずに生きたいものだ。

 花や葉を落としても、なお悠々と美しい老い方なないものだろうか。

 たとえば、「老麗」などでもいいのだが。

 先日、次のような句を捻ってみた。

   裸木のこぶ悠々と老いゆけり   鵯 一平 

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料理の話

2011年01月21日 15時05分13秒 | インポート

 昨晩、東京都内の某所で、「Hの会」があった。

「H」とは変態の「H」ではない。「はらわた」の「H」だ。似通った「はらわた」を有している者同士が折々集まって、まさに「はらわた」を見せ合って放談しようという主旨。なぜか私が最長老だ。

 昨晩は10人弱が集まった。ほとんどが現役を退いているせいもあって、話題は多分野に及ぶ。

「料理」の話題になった。おおかたは何やらやっているようだ。

「ところで、親分は何ができる?」と、私が詰問される形となった。もっとも回避したい問題だったが、答えないわけにはいかなかった。

「えーっと、お粥が炊けるし、納豆は簡単だ」と、しどろもどろ。

「買い物はできますか?」

「それはできるさ!メモを見ながら買えばいいんだから………」

「品物の良し悪しや値段はわかりますか?」

「………?」 実はそこまではわからない。国内産と消費期限(賞味期限)だけはしっかり見ているつもりだ。

「そんな程度では、買い物ができるとは言えませんよ!」

 それはそうだ。だから私は、「買い物ができる」とか、「料理ができる」などと言っていないではないか。

 メンバーのY君が、手作りのクッキーを配ってくれた。

「今は食べないでくださいよ。酔っぱらって食べたのでは、苦心して作った微妙な味わいを感じてもらえないから」 とはY君の弁。説得力のある主張だった。

 かつてリタイアした頃、一念発起して料理を勉強しようと思ったことがあった。カミさんに内緒で、「初歩の料理」めいた本を買った。多少なりとも言葉を覚えてから、料理教室へ行こうと思ったからだ。

 しかし、思うようにことは運べなかった。体調を崩したことが大きかった。

 密かに買った本は、カミさんの目に触れる前に、ふたたび密かにブックオフした。

 ペットの話も出た。犬の名前に私の名前を付けたヤツがいたらしい。

 そのような話題は、次の機会に書きたい。

 楽しい一夜であった。

 持つべきモノは仲間だ。あらためてその感を強めた昨夜であった。

 先ほど、Y君手作りのクッキーを賞味した。上品な味であった。

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おばちゃんエネルギーに期待

2011年01月19日 18時57分17秒 | 身辺雑記

 1月11日、早実のハンカチ王子だった斉藤佑樹が、早大投手を経て、「日ハムの佑ちゃん」としてデビューした。

 いや、それは気が早過ぎる表現だ。つまり、ほかの新人選手たちと一緒に、鎌ヶ谷市内で自主トレートレーニングに入ったのだ。

 にもかかわらず、まだまだその段階なのに、フアンたちのフイーバーぶりは凄まじい。

 おばちゃんやおねえちゃんたちが、大挙して鎌ヶ谷へ集まってた。佑ちゃんグッズも飛ぶように売れているとか。

 そんな中、気もそぞろになるであろうに、当の佑ちゃんはソツがない。心の中は覗けないが、淡々と愛嬌を振りまき、淡々とトレーニングに励んでいる。

 ゴルフの石川燎選手のデビュー時を思い起こした。

「フアンのフイーバーに潰されなければいいがなァ」と、当時の私は余分な心配をした。

 ところが、それは杞憂に過ぎなかった。石川選手は堂々と成長してくれた。アマチュア時代の実績は、単なるラッキーでなく、しっかりした「心技体」の裏付けがあったのだ。

 日ハムの佑ちゃんにも、私は多くを期待したい。素直に大きく成長し、日本の佑ちゃんになってほしいものだ。

 それにしても、あのおばちゃんたちの大騒ぎは、一体全体、何を物語っているのだろうか。

 今度もまた、えらく驚嘆している次第だ。

 戦後の驚異的な復興の根っこに、おばちゃんエネルギーがあったのかもしれない。

 口先だけの男たちから、今は真っ当なエネルギーを感じることはできない。おばちゃんエネルギーに大いなる期待を寄せたい。

 口先だけの小心なわが身を反省しながら………。

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