煩悩とは、衆生を悩ませる一切の妄念だそうだ。
「煩悩の数は百八」であるとか、いやいやさにあらず、「八万四千の煩悩」などという説もある。
とすれば、およそ煩悩に無縁な人はおるまい。
「酒を飲めずに困って」いたり、「酒を飲みすぎて困って」いたり……。
「女にもててに困って」いたり、「まったくもてずに困って」いたり……。
「金がなくて困って」いたり、「金があり過ぎて困って」いたり……。
私などは、煩悩に帽子を被せて眼鏡をかけ、布きれを巻き付けているようなもの。
「酒は飲みたいのに飲めない」
「女性にもてたいのにもてない」
「健康でいたいのに、なんと病気の多いこと」
さらにさらに言えばキリがない。
絡みついてくる煩悩から逃れようと、毎朝、仏壇の前で、「般若心経」を唱えている。
しかし、一向に効き目がない。
言うまでもなく、お経のせいではなく、私の心がけの問題であり、実行力の問題なのだ。
年がら年中、迷路のなかを彷徨っているうちに、もう晩秋を迎えてしまった。
あれほど緑盛んだった草木は、紅葉となり黄葉となり、今や葉を落とし始めている。
ひとり松だけは、さらに鮮やかな緑。
(俳句では、そのような松の緑を愛でて、「色変えぬ松」という季語がある)
出口なき迷路や松の色変へず ひよどり