新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

春一番

2011年02月26日 07時00分15秒 | 写真俳句・エッセー

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 昨日の風は、春一番だったとか。今も吹いています。

 もっとも、今吹いている風は北風。気温が下がってきました。

 足並みに遅速を感じますが、春は動いています。

 過日、ニュージーランドで大きな地震がありました。

 多くの人々が被害に遭われました。痛ましいかぎりです。

 日本の若者たちが災害に遭遇し、まだ多くは救出されずにいます。

 こちらからでは救出活動がよく見えず、苛立つばかりです。

 早く救い出されることを祈るのみです。

 中東や北アフリカの騒動、なかなか収まりそうもありませんね。

 長い間の鬱屈が、一気に迸り出したのでしょう。

 国民に銃口を向ける軍隊、怒りより悲しみを感じます。

 その点、日本はありがたい国柄です。

 このような日本を、もっと大切にしたいものです。

    昼酒の夜まで醒めず春一番   鵯 一平

   別館として、写真俳句ブログの「ひよどり草紙」を開いてます。

 ご覧いただけると嬉しいです。

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重症自慢

2011年02月17日 13時18分33秒 | 身辺雑記

 私の生まれ在所は茨城県北部です。

 あのあたり、かなりの杉が植えられおり、杉花粉の名所です。

 言うまでもなく、花粉を十分に浴びて育ちました。

 だから、「花粉症になるはずがない!」、と思っておりました。

 しかしながら、「鼻のムズムズ」は絶えずありました。鼻風邪だと思っておりました。

 その「鼻ムズムズ」を、医師は「鼻風邪」と認めず、「アレルギー性鼻炎」だと断定的に言います。つまり、風邪薬を処方してくれませんでした。

 そんなやりとりをしながら、幾年か過ぎました。

 今年の「鼻ムズムズ」や「鼻ツマリ」がひどく、ついには中耳炎になってしまいました。

「鼻風邪の手当てをしてくれなかったからだ」、と、私は医師の無策を責めました。

 それに対し、「アレルギー性鼻炎を認めず、医師の指示に従わない患者のほうが問題」、と医師は言い募り、アレルギーの検査をする羽目になってしまいました。

 その検査結果を、過日に言い渡されました。

「杉花粉アレルギーの重症です」 とのこと。つまり、医師の勝ちでした。

 自慢するわけではありませんが、私は重症化しやすい患者です。

 いろいろな病気を、「重症です」と言われながら付き合ってきました。だから、「杉花粉アレルギーの重症」くらいでは驚きません。

 しかし、何かと言えば、「重症です」と言わてしまう自分のか弱さに呆れています。

 

 

 

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血圧の問題

2011年02月13日 19時58分49秒 | 身辺雑記

 血圧が上がったまま。

 もちろん、以前ほどではないが、管理限界値を超えてしまった。

 原因は分かっている。対策もほぼ分かっているつもり。

 実行するかどうか、実行できるかどうかが問題だ。

 正月の過ごし方がうまくなかった。食べ過ぎたために、体重が増えてしまった。

 その上、今年の冬は寒かった。今に到っても、気温が低い。

 血圧の調整は難しい。簡単に上がってしまうが、下げるには時間がかかる。

 今日からウオーキングを始めた。1~2週間は続けたいものだ。

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建国記念の日

2011年02月11日 07時14分00秒 | 写真・エッセー

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 2月11日は建国記念の日です。

 終戦前は、紀元節と言われておりました。日本書紀において、神武天皇が橿原の宮を建てた日として、明治時代に定めたのでそうです。

 ところが、敗戦後、「紀元節を認めれば、天皇を中心として日本人が団結するのではないか」というアメリカの懸念により、紀元節は廃止されました。

 その後、さまざまなアンケート調査等により、日本人の8割以上の人が、「建国を記念する日」の復活を望んでいることが分かりました。

 昭和42年に、「建国記念の日」が制定されました。

「建国記念日」でなく「建国記念の日」としているのは、「正確な起源が分からないのに……」という学者の意見もあり、「記念の日」としたのだそうです。私としては、「そこまでこだわらなくていいではないか」と思いますが、学者とは難しいことにこだわるものです。

 正確かどうかは別として、2000年以前に「この国」が創設されたことは事実なのです。

 私はその日を寿ぎたい。そこに我々の起源があったのでしょうから。その後におけるわが国の運営に、幾つかの不都合があったとしても、それはそれ、これはこれ。どの国だって、さまざまな歴史を歩んできたのです。

 「皇国史観」に賛成できませんが、「自虐史観」はなおさらキライです。

  けふひと日おのれ見詰めむ建国日  鵯 一平

 こんな五七五、とても俳句ではありませんね。 

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「縁」について

2011年02月08日 14時23分31秒 | 身辺雑記

 以前、どこかのテレビで、「無縁社会」が報じられていた。

 報道のキッカケとなったのは、年金受給者が死亡した際、年金を受給し続けるために死亡届を出さなかったケースだった。

 その後、地方行政機関などの全国的な調査によって、行方知らずの超高齢者が明らかとなった。いろいろな事情によって、死亡届の提出を怠ったり、生死が確認できていないケースが多かった。

 統計によると、引き取り手のいない遺体は、年間に3万2千人に及ぶそうだ。つまり、「無縁者」が多いということであり、そのほとんどは孤独死とか。

 日頃の私たちは、なにがしかの「縁」で繋がって生活している。

 根本的なものは「血縁」。両親から生まれ、兄弟との繋がりがある。

 向こう三軒両隣との繋がりができれば、そこに「地縁」が生じ、自治会や行政機関との繋がりも生じてくる。

 就職すれば、「社縁」に組み込まれ、上手く行けば、定年までは繋がることになる。

 今の私には、兄弟や子供たちとの「血縁」がある。煩わしいこともあるが、もっとも頼りになる「縁」には違いない。

 また、地域の人々との繋がりがあり、つまり「地縁」にも恵まれている。

 すでに会社はリタイアした。しかし、OB会の繋がりや当時の仲間たちとの呑み会やゴルフがある。これなどはありがたい「社縁」というべきだ。

 そのほか、趣味などを通じて知り合った「雑縁」もあったりするので、今のところ「無縁」ではない。

 それらの「縁」は、時に煩わしくもある。しかし、良し悪しは別として、私が生きてきた結果には違いない。

 大切にして生きたいと思う。

 

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