新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
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『礼』の問題について

2009年01月11日 10時14分29秒 | 身辺雑記

 昨日、賀詞交歓会があった。これで今年の新年のご挨拶は終わった。

 会場で、先輩のMさんにお会いした。

 83歳になったと言っておられた。ずっと以前から、剣道の師範をしておられる。

 今でも週に2度は道場に立って、指導に当たっているとのこと。背筋をピンと伸ばしておられ、きっと私のほうが年上に見えるに違いない。

 初めてMさんにお会いしたのは、30年ほど前だった。

 Mさんはその頃すでに、剣道の指導者として一家をなしていた。剣道に関し、「指導者として一家をなしていた」と表現していいのかどうか、私には分からない。しかし、会社内外に弟子たちがいて、「先生、先生」と慕われていたことは確かだった。

 私の昔の仕事場にも、Mさんの弟子がいた。

 A君というその弟子は、仕事場では跳ねっ返りの暴れん坊だった。

 ところがそのA君が、Mさんと私の関係を知ってから、がらっと態度が変わった。私に対しては、とても従順になった。師匠に対する「礼」を以て、私に接してきたのかもしれない。

 久しぶりにお会いしたMさんと、「当世剣士気質」について話をした。

 Mさんの曰く、「『礼』の気持ちが変わりましたかねえ」 ということだった。今どきの若い者は、剣道に精進している身でも、『礼』に関して以前とは違ってきたのだそうだ。ほかの人がきたので、具体的にどんなことを言われたのか、はっきりとしたことを聞きそびれてしまった。

 日本の武道は、「『礼』に始まって『礼』に終わる」と言われていた。『礼』が武道の心を伝えているようなところがあった。

 武道の中でも、もっとも『礼』を伝えていると思われた剣道。その剣道においても、『礼』が失われつつあるのだそうだ。

 Mさんの口ぶりでは、国際化を一つの原因と考えておられるようだった。私の思い過ごしかもしれない。

 日本の社会から、『礼』が失われている。私も痛感しているが、いまさらもう遅い。

 上司とか部下、先輩と後輩などの問題はごく一部だ。

 親子兄弟、友人関係、師弟関係など、それぞれに適った『礼』がなければなるまい。

 相手を尊重する気持ちであり、それをさりげなく表現する慎ましさ。

 当然のことながら、年配者や上司や先輩は、若者や部下や後輩に対し、暖かい慈しみの心がなければならない。それも『礼』の重要な一つだ。

 なぜ失われつつあるのか、私には分からない。

 単なる時代の推移や国際化だけではあるまい。先の戦争での敗北やその後にやってきた「戦後民主主義」にも、大きな原因の一つがあったのではなかろうか。

 その結果としての子育てや教育の問題。

 私のこんな言辞は、天に唾する所業かもしれない。

 まず自らが反省すべきなのだ。

 2時間ほどのパーテイだったのに、私はすっかり草臥れてしまった。

 麻雀に誘われたが、固く断って逃げ帰った。今はもう、そんな元気はなかった。

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コメント (10)
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