萩はマメ科ハギ属の小低木。
夏から初秋にかけて紅紫色の花を開き、秋のなかば頃に散りこぼれる。
秋の七草の一つ。
今日の記事には関係ない。
7月21日の記事で、旧友が急逝したことを書いた。
T君のことである。
T,H,Kと私は、いずれも昭和9年生まれで、小学校、中学校が一緒の幼馴染みだった。
H君と私は同じ高校に進み、T君、K君はそれぞれ異なる高校へ進んだ。
H君はすでに亡い。T君は少し離れた市に引っ越していたので、自然に連絡が途切れていた。そのようなことから、T君の急逝を知らずにいて、葬儀・告別式にも出席できなかった。
気になってならなかったので、T君宅の番号を探して電話をした。
「はい、Tでございます」と、明るい声の応答があった。
少し甲高い若やいだ声。S子さんだろうか。
「あのー、私、●▲と申しすが……」 おずおずと名乗った。
「あらっ、●▲さん!お久しぶりでございます!S子です!」 元気な声だ。
「Tが亡くなったと聞いたものですから……」 私の言葉は、歯切れ悪い。
「そうなんですよ、急に逝っちゃったンです」
打ちひしがれているのかと思っていたのだが、思いのほか言葉に勢いがあった。
「自業自得だったンですよ。本人も納得していたと思います」
いきなりビックリするような言葉が飛び出した。もともと元気で、多少は無邪気な面のある女性だったのだが、自業自得とは穏やかでない。
それからしばらくの時間、彼女の話を聞いた。心の内に溜まっていた何かが、いきなり迸り出ている感じだ。悲しみすらも抑え込んでいたのかもしれない。しかし、あくまでも湿っぽさはなかった。
あんなに無邪気そうで可愛い雰囲気の彼女に、意外に強い一面があったのかもしれない。
それとも、今もなお、必死になって悲しみと立ち向かっているのだろうか。
ひとしきり話を聞いてから、私は、
「近日中に、お線香を上げさせてほしい」と、願い出た。
「お出でいただけますか、ありがとうございます」
こちらの訪問を快諾してくれた。時間を約束して電話を切った。
夫君を亡くした際、妻たる身に襲いかかるストレスは凄まじいものがあるようだ。
H君の葬儀に際してもそうだった。H君の兄弟が乗り込んできていて、妻のY子さんは身動きができずにいた。
今度もそんな様子だったらしい。言葉の端々から伺い知れた。
訪問の当日、私は自動車では行かず、常磐線を利用することにした。駅まで迎えに出てくれるとのこと、ありがたいことだ。
男ヤモメに蛆が湧き、女ヤモメに花が咲く。よく言ったものである。
H君を見送ったあとの奥さんY子さんは、今、伸び伸びと新しい事業に取り組んでいる。
S子さんは若い頃から、書道の先生をしていた。今後、どうするのだろうか。
妻を見送った夫と夫を見送った妻の違い。幾人かの友人を見て、考えさせられることがあった。いや、今後考えてみたいと思っている。
夫とは、男とは、妻たる女性を長い間にわたって、抑圧を加えている存在なのだろうか。
それどころか、死んで後も、兄弟たちや親戚との関わりで、心痛の種を残すのかもしれない。
T君とS子さんとの関係にかぎっては、主導権がS子さんにあったと思っていたのだが………。
お読みいただきありがとうございました。
応援クリックをお願いします。
↓ ↓