新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

曼珠沙華

2010年09月30日 07時33分48秒 | 写真俳句・エッセー

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 昨日は晴れ。

 待ちに待った気持ちで、曼珠沙華を見に出かけた。

 彼女たちは、上機嫌で私を迎えてくれた。しかし、花の盛りは2~3日ほど遅かったかもしれない。これは花たちのせいではなく、私の怠惰に責任があった。

 尖閣諸島の日本政府の稚拙な対応に腹を立てているより、花々とのご対面のほうが、精神的にはよほどいい。日本に生まれてよかったなァと、つくずく感じる一瞬だ。

 上は花野に広がって咲いている曼珠沙華。思いなしか白茶けて見える。お化粧のノリが悪くなった頃合いだろうか。

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 上の写真は、木陰の曼珠沙華だ。まだまだ色合いは鮮やかだ。

 このような花を見続けていると、感覚が怪しくなってくる。魅入られそうだ。

    妖しくも芯だけわびし曼珠沙華   鵯 一平

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それでいいのですか?

2010年09月28日 13時53分31秒 | コラム・エッセー

 日本の国及び国民は、昭和20年(1945年)8月にポツダム宣言を受諾してから、意識が大きく変わってしまった。

 自立しようとする日本人の意識を危険視したGHQは、手を変え品を変えてそれを妨害し、日本人もそれをいいことに、経済にばかり目を向けてしまった。

「第二次世界大戦を起こしたのは日本国だ。日本人は悪逆非道を繰り返した」

 アメリカも中国もソ連もオーストラリアも、口を揃えて叫んだ。その合唱の結果が東京軍事裁判の判決だった。

 日本人自身も、「悪かったのは日本人。悪かったのは日本の軍国主義」と、すっかり洗脳されてしまった。その挙げ句、あの「無差別大量殺戮」の原子爆弾の投下すら、「日本が悪かったのだから仕方がなかった」と、思い込まされてしまっていた。

 以来、軍隊を持つことは罪悪と思ってしまった。

 お陰で経済的には発展したが、日本人の心から、「自立自尊」の精神が消えてしまった。

 その結果が、今の日本だ。

 日本固有の領土である尖閣諸島で、中国漁船が日本海上保安庁の船舶に体当たりをしてきた。

 だから「公務執行妨害」の現行犯で中国漁船の船長を逮捕連行した。ところが、中国政府は大騒ぎ。釈放要求のほか、さまざまな嫌がらせ的な行動に出てきた。

 弱腰だったのは日本だ。「中国との関係を悪化させたくない」という「検察現場の判断」で、かの船長を、「処分保留」のまま釈放してしまった。

 まったくの弱腰。しかも、検察現場の判断だったと言っているのだから驚きだ。危機管理がなっていないどころか、まったくの弱腰。完全な「外交の敗北」だった。

「筋」を通してモノゴトを見ていない。「筋」がない。弱腰なのだ。「中国との間で、紛争を起こしたくない」という視点だけが判断の基準となっている。

 これは決して、安全保障の問題に限らない。世相の荒廃にも影響が及んでいる。

 親の子殺しや子の親殺しなど、日本の世相は目を覆いたくなるばかり。

 食べることにも事欠いた私の親たちは、寝る時間を惜しんで働き、子供たちに与え続けた。「豊かであれば」と思って、どんどん与え続けた。

 私の世代も、自分が味わった「モノがない苦労」を子供にはさせまいとして、せっせと子供たちに与えた。与えようと努力をした。

 その結果、経済的には豊かな社会になったかもしれない。しかし一方では、豊かでなければ我慢できない世の中を作ってしまった。

「お金さえあれば・・・」の風潮が、日本を覆い尽くし、国の安全保障ですらお金で解決できると思ってしまった。すべてはお金で解決できると思い込んだ。奢れる日本、奢れる日本人になってしまったのだ。

 今、そのツケが来ている。

 本当にアメリカは守ってくれるのか。日米安全保障条約は、「一方の当事国が拒否すれば、この条約は成り立たない」のだ。アメリカが「もうイヤだ」と言えば、日本は素っ裸で世界と対峙しなければならなくなる。中国、ロシア、北朝鮮。世界には、虎や狼が跋扈している。韓国だって、いつ牙を見せてくるか分からない。

 日本国憲法の前文には、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した」と書かれてある。「平和を愛する諸国民の公正と信義」を前提に作ってあるのが、現行憲法なのだ。

 真に諸外国は信頼に足る存在なのだろうか。過去の事例を見るまでもなく、そのようなことはありえない。

 日本にかかわる事例だけでも、沢山あるではないか。

 憲法自体、世界の実態に合わない前提で作られている。にもかかわらず、日本国内では、憲法改正の論議は大きなタブーとなっている。

 世界の厳しい現実から目をそむけ、日本人は、「誰も彼もいい人」という前提の憲法を後生大事に戴き、論議すらも封じ込めてきた。それが戦後の日本だったのだ。

 北朝鮮の拉致問題、ロシアの北方領土問題、韓国の竹島問題、それに中国との尖閣諸島問題。

 どの問題を考えても、「諸国民の公正と信義に信頼し」ていては、とても成り立たなかったではないか。

 それらに頬被りをしていた日本国および日本人は、これからもさらに大きな傷手を受け続けることになるのだ。

 漂流国家日本は、今や水溶性だ。このままでは溶けてなくなってしまいますぞ。

 尖閣諸島に領土問題はなかった。つまり、国際的にも、「日本の固有の領土」として了解されていたのだ。以前の中国は、尖閣諸島を日本領土として認めていた。しかし、あの地域に地下資源が埋蔵されていることを知ってから、中国は領有権を主張しはじめた。

 しかも今や、北方領土問題を抱えているロシアと手を結びそうな雰囲気なのだ。

 それでもいいのですか?

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弱腰日本の敗北と国民の猛省!

2010年09月25日 07時25分23秒 | 俳句

 尖閣諸島で逮捕した中国船長を、「処分保留」で釈放した。

 その船長は日本領海内で不法な漁労活動をしていた。その上、海上保安庁の巡視艇に故意に衝突をしたのだ。だからこそ、「公務執行妨害現行犯」で逮捕したのではなかったのか。

 例によって、中国は、「不当逮捕だ、即刻釈放!」と、声高に叫びだした。しかも、次々に制裁措置を強化していった。

 日本政府は、「日本領海内のことであり、国内法によって粛々と対処する」と、当初は威勢のいいことを言っていた。

「そりゃぁそうだ、尖閣諸島は日本領土なのだから・・・」

 日本人は誰だってそう思っていた。むしろ、「菅政府、なかなかやるではないか」と、頼もしくも感じていた。

 一方、中国政府は、凄まじい対応に出た。旅行の中止、政府高官の交流中止、白樺の掘削再開、レアメアースの輸出中止。挙げ句の果てに、中国へ出張していた日本人の4人を逮捕した。

 そのように中国政府の措置は拡大の一途。一方の日本は、「両国とも冷静に対処すべき」の言葉を、仙石官房長官らが、気弱に呟くのみであった。

 アメリカとしては、幾度か、「尖閣諸島は日米同盟の範囲内」という発表をしてくれた。

 それがどのような意味を持っていて、しかも、効力を発揮したのかしなかったのか、私にはよく分からない。いずれにしても、アメリカ国益を考えての話だ。

 しかしながら、突如として、「船長を処分保留のまま即時釈放」へと、事態は急変した。

 私には、その間の交渉は知らない。菅・オバマ会談が行われたが、その結果かどうかもしらない。ひょっとしたら、オバマ大統領から菅総理に対し、「地域の摩擦は慎重に!」とでも言われたのかもしれない。オバマ大統領にしてみれば、中国元の切り上げ問題のほうが大きい。

 仙石官房長官の言によれば、「この問題は検察の判断」だそうだが、誰だってそんなことを思っていない。もしそれが真実だとすれば、政治主導を標榜していた菅政権が、スタートから官僚主導に引き摺れたことになる。

 我々国民は、またまた「弱腰日本」を思い知らされた。

「日本が中国の圧力に屈した」という屈辱を感じ、「尖閣諸島の領有権は怪しくなっていくのだなぁ」ということもあらためて実感した。

 これは竹島問題の悪い例となり、北方領土の模範解答を出してしまったようなものだ。

 やっぱり日本は弱い。弱腰だ。

 国は領土と国民の生命・財産を守るために存在するのだ。

 竹島は韓国に実行支配されたまま。北朝鮮の拉致被害者は取り戻せない。北方領土も、もはやロシアが支配している。尖閣諸島も怪しくなった。

 我々日本国民は、すぐに国の対応を批判する。しかし国の不手際や弱気は、すべて国民の意識の浅さや無気力にあるのではないか。

 今回の問題に関しても、国に猛省を求めたいが、同時に、国民の凛とした姿勢と行動力にも大いなる反省点があるのだ。

 国民よ、もっともっと「国」について考えようではないか!

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秋彼岸

2010年09月23日 06時26分00秒 | 写真俳句・エッセー

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 今日は彼岸のお中日。

 これから両親の墓参のため、故郷へ向かいます。

 朝5時。今のところ、まだ雨は降っていません。起床予報によれば、「激しい雨」とか。

 往復で約350キロの道のりです。安全運転で行ってきます。

 老夫婦が二人、急ぐ理由などあろうはずもありません。

 写真は川越の五百羅漢さん。

 何やらひそひそ話をしていたので、一枚撮らせてもらいました。

    善きことも悪しきも忘れ秋彼岸   鵯 一平

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敬老の日

2010年09月20日 06時29分35秒 | 写真俳句・エッセー

 今日は敬老の日。各地ではいろいろな行事が催されるでしょうね。

 私が住んでいる地域でも、「敬老会」が開かれます。私も招待されましたが、丁重にお断りを申し上げました。なんとなく気恥ずかしい。

 先日来、「老人の白骨死体」などの話題が、新聞やテレビに登場しています。

 また、「実はすでに死亡していたのに、戸籍上は生きていた」とか、「生きていることにして、年金を詐取していた」など、気持ちの晴れない内容の報道が多かった。その度、索莫たる思いに駆られたのは、私だけではないと思います。

 なぜこんな世相になってしまったのでしょうか。悲しいことですねえ。

 何かを言えば、直ちに、「格差社会」という言葉が飛び出します。しかし私は、そんな単純な言葉で説明がつくとは思っておりません。単なる言い訳にしかならない。

「生きること」や「死ぬこと」、「親子のつながり」や「地域のあり方」など、人々の心や社会のありようの根源的なところに、暗い病巣があるように思えてならないのです。

 敬老会に招待されながら、辞退してしまった私。このような私の姿勢も、考え直すべきかもしれません。

「歳をとってしまってゴメンナサイ」

 まさかそのように思っているわけではありませんよ。

 しかし、「少子高齢化の急速な進展」、「円高の進行による産業の空洞化」、「求人倍率の低下傾向」、「高齢者医療費の増高」などを聞くにつけ、内心に忸怩たる思いがないと言えば嘘になります。 

 その上、世相の暗転に関しては、私たちに責任がなかったとは言い切れませんしねえ。

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 上の写真は奥日光。湯滝と竜頭の滝を結ぶ湯川の一光景です。古木や老木が倒壊し、湯川を覆っているところもあります。

 今に始まったことではなく、おそらく古代からの姿だったと思います。

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 上の写真は、倒壊した古木から生え出た茸です。茸の種類に疎い私には、名前は知りませんし、食べられるかどうかも分かりません。疵もつかずに残っているところを見れば、毒茸かもしれません。なにしろ、熊も猪も見向きもしないのですから。

 こんな姿を見るにつけ、豊かな自然の循環を感じます。このようなことを繰り返しながら、地球は生き永らえてきたのではないでしょうか。

 人間にとっては毒茸でも、大きな循環の中で、なんらかの役割を果たしているのかもしれませんね。

 そんなことに思い到ったら、少しばかり元気が湧いてきました。

     永らへて古木老木毒きのこ   鵯 一平

    (ながらへてこぼくらうぼくどくきのこ)

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