新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

屈託の虫

2015年10月30日 20時28分48秒 | 写真俳句・エッセー

 

 宮崎市で、悲惨な交通事故が起きた。

 高齢者(73歳)が運転する軽乗用車が、歩道に進入して700メートルほど暴走し、7人が死傷した。

 ドキンとした。

 ニュースの続報によれば、運転者は認知症を患っていて、事故の2日前に退院したばかりとか。

 この運転者よりも遥かに年上の私としては、とてもショッキングなニュースだった。

 そんなに心配なら、いっそのこと免許証を返上したら?

 しかしながら、単純にそうも行かないのです。

    屈託の虫を抱へし夜長かな   ひよどり 一平    

 

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竹の春

2015年09月01日 19時50分49秒 | 写真俳句・エッセー

 この頃、故郷が遠くなってしまった。

 東日本大地震の前までは、茨城県北部や福島県南部には車を跳ばしていた。

 墓参や写真撮影のためだった。兄弟たちにも逢いたかった。

 あの大地震で気持ちが萎えたのだろうか。

 福島県だから恐いわけではなく、茨城県だから敬遠しているのでもない。と、私は思っている。

 あの地震の夜、私は帰宅難民となり、東京駅で一夜を過ごした。

 もちろん、被害に遭われた人々に比べれば、私の苦労などは極々微細なものだ。災害とは言えない。

 しかしその後の行動範囲は狭くなってしまった。

 私の写真フィールドは、裏磐梯、奥日光、茨城北部などだったのだが、あの時以来、足が向かなくなってしまった。

 写真撮影自体から遠ざかってしまったのだ。

 福島県南部や茨城県北部は父母の故郷だ。茨城県北部は私の生まれ在所なのだ。墓参りにも行かなくなっていた。

 災害と私の加齢や病気とが重なり、すっかり出不精になってしまったのだ。まったく情けないことだ。

 幸いにも今のところ、病気と病気の間にいる。次の病気までのハザマを使って、行動範囲を元に戻したいと思っている。

 写真にも力を入れようと思っているし、出来るならばゴルフにも精を出したい。

 恋人にも逢いたい。(これは妄想で、ちょっと言ってみたかっただけ)

    父祖の地の日毎に疎し竹の春    ひよどり 

     

        竹は春に繁殖し、竹の子に養分を廻してしまう。だから親竹は衰えて黄葉したり落葉する。つまり「竹の秋」。

           秋になれば竹の子も生長し、親竹も元気を取り戻して枝葉も青々となってくる。つまり「竹の春」だ。

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猫じゃらしと嫁いびり

2015年08月30日 15時44分59秒 | 写真俳句・エッセー

 孫姫たちは帰った。ここ数日、我が家にも静寂が戻ってきた。

 今朝は雨もよい。傘とカメラを持って散歩に出た。

 カメラを持つと、自ずと足が動く。いつの間にか8000歩ほど歩いていた。心地よい朝であった。

 上掲の写真は、電柱の根元に生えているエノコログサ。またの名を猫じゃらし。

 私はこの草が好きで、よく撮っている。

    寄るな寄るなくすぐったいぞ猫じゃらし   ひよどり 一平

 「秋茄子は嫁に食わすな」

 昔はそんなことを言ったのだそうだ。

 意味は三つ。

 ① 秋茄子は柔らかくて美味しい。勿体ないから嫁には食べさせるな。つまり嫁いびりの意地悪な言い方。

 ② 秋茄子を食べると冷える。だから嫁には食べさせないほうがいい。嫁の健康に気遣った言い方だが、とってつけたようで不自然。

 ③ 秋茄子の種は小さい。子供が生まれないと困るから食べさせないほうがいい。②と同じような意味合いで、日本古来の文化には合わない。

 やはり、①の理由だったと思うのが順当かも知れませんね。

   早あさげ嫁共々に秋の茄子   ひよどり 一平   

 明日のことは明日になってみなければ分からない。

 が、しかし、できるだけ歩こうと思っている。

 明日は8月最後の日。

 9月に入ればすぐに誕生日。いやも応もなく81歳だ。 

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煩悩のこと

2015年08月28日 21時30分26秒 | 写真俳句・エッセー

 男にとって、煩悩は生きている証し。

 灰になるまで燻っているに違いない。燻り続けなければ生きている甲斐がない。

 「嫋やかな裾捌きに風を感じるなんぞ、実はもってのほかであり論外の沙汰ぞ!」

 しかし、それがまた煩悩たる所以なのですから、是非ともお許しを願いたい。

   裾風に煩悩あらた秋暑し    ひよどり 一平 

 

 

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泣きぼくろ

2015年08月26日 18時46分25秒 | 写真俳句・エッセー

 昭和20年8月15日の玉音放送の時は、男も女も泣いた。

 男のほうが、激しく泣いたように記憶している。

 女も泣いたが、控え目だった。

 子供だった私たちも泣いた。大人につられて泣いたのだ。子供たちは、深刻に考えていたわけではなかった。

 一般的に、男は泣かないものとされている。泣けば、「女々しい」などと言われた。

 やはり涙は女の特権だ。美徳とすら思えることもある。つまり、男の心をくすぐるのだなァ。

 もちろん、泣き方にも形があるのかもしれぬ。

 ちなみに私は、残念なことだが、女の涙によってくすぐられたことはない。

    底紅や泣かぬ女の泣きぼくろ   ひよどり

 

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