新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

腰痛には参った

2007年05月25日 14時17分35秒 | 身辺雑記

 朝から雨だ。このような日は、腰が痛い。私の腰痛は、よく聞く「ギックリ腰」のような激痛ではなく、じんわりと重い。右側に偏っている。飲み過ぎや疲労後、胃腸が不調のような時は、特にひどい。
 品川区にある総合病院の整形外科では、「加齢によるもの」と決めつけられ、話題はその先へ進まない。神経内科では、足に痺れがあるのなら、「脊椎狭窄」ではないかと診断され、ビタミン剤を投与された。
 今週日曜日、少し暑い日だったが、庭の草むしりをした。狭い庭だが、腰を伸ばしたりしながらよろよろやったので、小一時間かかった。腰を庇ったつもりでも、終わる頃には、鈍い腰痛が始まっていた。これなどは明らかに不注意のそしりは免れない。
 月曜日は身体全体が筋肉痛。久しぶりの作業は身に堪える。情けない。しかも、筋肉痛から解放された火曜日頃から、鈍いあの腰痛がやって来た。
 「腰痛の大先輩」であるM氏から、一般的知識を拝聴した。
「しっかりした専門医に診て貰ったほうがいいですよ」と、M氏の言葉は一貫していた。品川区の某総合病院だけではなく、納得の行くまで診て貰うべきだという意見を頂いた。
 もう一度整形外科の診察を受けるか、他の専門医の門を叩くか、よく考えてみよう。
 
 
 

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遠くから見守り

2007年05月22日 10時34分00秒 | 身辺雑記

 昨夕、会社の後輩と会った。特段の話があったわけではなかった。久しぶりなので、よもやま話がしたかった。
 私と彼の最初の出会いは、平成3年の春。かれこれ16年前になる。私が再就職した会社に、彼がいた。すでに課長職にあったと思う。
 会社育ちの社員から言えば、私は外人部隊。傭兵みたいなものだ。その傭兵が、ほとんど実務経験もないくせに、スポッとやってきて上司筋に座ってしまう。憤懣やるかたない思いを抱くのは当たり前。会社育ちのほとんどの社員は、不愉快な気持ちで傭兵を見ている。
 前の会社の経験から、私は、傭兵に対する社員の白い目や反感を、よく理解出来ていた。当然だと思う実態もあった。傭兵にはバカが多い。実力で仕事をせずに、立場で仕事をする。浅薄な経験でご大層な態度をとり、トンチンカンな指示をしたりする。社員にとっては、迷惑千万なことが多過ぎる。
 もちろん、会社育ちの社員にも悪い面がある。初めから敵対心を持って向かってくる。あるいは無視をする。そんな状況の中、私は入社した。
 想像通り、私に対する視線には、厳しいものが多かった。面と向かって喧嘩を売られたこともあった。
 そのような頃、私は彼と出会った。数ヶ月は警戒されていたように思う。しかし、当時、我が社を始め同業各社は、業務促進の問題と安全確保の問題を抱えており、傭兵が汗をかく場面も多かった。バカな傭兵は、椅子にふんぞり返り、屁理屈をこねて反感を買っていたが、私は自分の出番だと思っていた。一生懸命に動いた。成果は上がらなかった。しかし、その頃に多くの人を知った。彼もその中の一人だった。
 その後、私の立場は変わって行った。彼も重い責任のポストに就いて行った。
 彼にしてみれば、「オレにだけ、なんでこんなに負荷が多いんだ」と不満に思ったこともあったかもしれないが、他の幾人かの人々と一緒になって、黙々と辛い役割を果たしてくれた。彼や他の幾人かの人々に、私は深い感謝と敬意を抱いている。頭が上がらない。
 私の傭兵時代はすでに終わり、経営責任者の椅子を退いた。会社は次の世代に移っている。彼や幾人かの人々は、経営責任の一端を担う立場となった。今度は彼らが、次代の人材を育てて行くことになる。私に憂いはない。遠くから見守るだけだ。

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今日は休養

2007年05月20日 20時24分11秒 | 身辺雑記

 昨日と一昨日、友人の通夜及び告別式に参列した。
 気疲れ、人疲れで、今日は朝から、グッタリの状況。風も強かったので、ウオーキングもお休み。
 一日中、ぼんやりしていた。

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告別式に出席

2007年05月19日 10時56分00秒 | 身辺雑記

 友人の告別式が、栗橋町で執り行われた。
 拾骨まで
させてもらうつもりでいたのだが、ご家族からの話もなく、出棺に手を合わせただけで帰ってきた。心残りではあったが、このようなことで心を残してはいけない。ご家族の強い意思を感じた。
 テレビの気象情報によれば、朝から雨模様という予報に反し、家に戻るまで、意外に平穏な天候だった。戻って一息ついた頃、猛烈な雨となった。
 昨日今日と、行って帰るだけの行動だったにしては、疲れた2日間だった。

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友人の通夜

2007年05月18日 21時55分00秒 | 身辺雑記

 宇都宮線の栗橋駅前にある葬祭場で、親しい友人(K君)の通夜が執り行われた。胃ガンのため、胃を全摘したのだが再発し、返らぬ人となってしまった。最初の発病は、20年ほど前だから、長い闘病生活だった。ずっと病床にあったわけではない。ほとんどは通常のサラリーマン生活を続けていた。ゴルフもしていたし、酒も飲んでいた。
 K君と私の付き合いは長い。私がN社に勤めていたころ、部下の一人であった。その頃の日本は、東京オリンピックが済んだばかりであり、各分野での開発・拡充が、猛烈な勢いで進められていた。N社においても、電気通信サービスの充実・拡大に向けて、全社挙げて取り組んでいた。
 当然我々も、多忙でかつ充実した日常を送っていた。その頃私たち夫婦は、「頼まれ仲人」として、媒酌人を務めた間柄であった。
 K君は子供3人。長男は結婚して、幼い2人の孫がいる。次男と長女はまだ結婚していない。家庭的には何の心配もなく、65歳は少し早すぎたが、全うしての生涯だったと思う。この度の病状悪化以来、2年間ほどは入退院を繰り返していたようだ。その点、家族も十分に看病出来たのではなかったろうか。奥さんの表情に疲労は隠せないものの、看病仕切った人の安堵感めいたものを感じた。本当に、ご苦労様でした。
 冥福を祈ります。
 
 

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