新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

クルマ依存症

2023年08月29日 10時54分15秒 | コラム・エッセー

 暑くなる前に歩こうと思い、少しばかり早起きをした。

「歩こうと思い」とは言ったが、さほどの距離を歩いたわけではない。スマホがカウントした歩数は3千歩弱だった。

 でもまァそれなりに満足だ。歩かないよりはよほどいい。

 ・・・・・・・

 高齢ドライバーの事故を避けるため、先ごろマイカーを手放した。

 その結果、日常がかなり不便になった。

 私もどうやら「クルマ依存症」になっていたようだ。 

  

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ギャンブル依存症対策を急げ

2018年07月30日 00時47分36秒 | コラム・エッセー

 カジノを含む統合型リゾート施設(IR)実施法が、通常国会で成立してしまった。なんたることか。

 パチンコ依存性が300万人以上はいるらしいという日本に、統合型リゾート施設(IR)を造ったら、果たしてどんなことになるだろうか。

 パチンコが悪いことは誰でも知っている。知っていて止められないのがパチンコ依存なのだ。

 確固たるパチンコ依存症対策すら持たない日本が、統合型リゾート施設を作ったらどんなことになるだろうか。心配でならない。

 心配で、心配で、今夜は俳句を作る気分にはなれなかった。

 私如きが國の心配をしても詮ないことなのだが、少なくとも家族や友人をギャンブル依存症から守らなければならないではないか。

 早急に國の対策強化と一人一人の意識改革を図って欲しいものだ。

 

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南シナ海が波立った

2015年10月29日 08時11分56秒 | コラム・エッセー

 南シナ海の中国人工島問題で、アメリカ海軍のイージス駆逐艦「ラッセン」が、人工島の12カイリ内を航行した。

 アメリカがあっと重い腰を上げた。

 このたびのイージス艦派遣には、「航行の自由作戦」と銘打っているとのこと。

 アメリカ国防総省は、今後も同様の作戦を継続する意向を示している。

 これに対して中国外務省報道局長は、定例記者会見において、「中国の主権と安全上の利益を脅かす」とし、譲歩しない姿勢を示している。

 外遊中の安倍首相は、訪問先のカザフスタンにおいて記者団に、「開かれた自由で平和な海を守るため、アメリカをはじめ国際社会と連携していく」と強調した。

 アメリカ、中国ともに、事態を深刻化させる強硬な行動には出ないだろうが、どちらも引けない問題であるだけに、当面は緊張が続くに違いない。

 日本としては連携すると言いつつも、安保法案は施行されておらず、直ちに自衛隊が作戦に加わるようなことにはならないらしい。

 いずれにしても、当分の間、南シナ海は軍事的な緊張が継続すると思われる。

 海洋国家を目指す中国は、かねてアメリカに対し、「太平洋をハンブンコしよう」と言っていた。また、「核心的利益」という表現もしていた。決して退くことはなさそうだ。

 アメリカも当面は退くことはあるまい。

 戦争状態に入るとは思わないが、かなりの綱引きとなりそうだ。

 もはやヨーロッパは期待できない。もちろん、ロシアも期待できない。

 海洋国家でもある日本としては、南シナ海は重要な交通路だ。国家の覚悟を問われに違いない。

 南シナ海の処理は、尖閣諸島の領有問題にもつながり、大陸棚の資源掘削問題にもつながっているのだ。

 中国は厄介な隣人なのだ。

 

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東京大空襲

2011年03月10日 19時02分05秒 | コラム・エッセー

 今日は東京大空襲に遭った日だ。

 昭和20年(1945年)3月10日の未明、東京の下町が、325機のB29の爆撃を受けた。

 死亡 8万3793人、負傷 4万918人、被災者 100万8005人。被災した家屋が26万8400戸だったそうだ。

 それまでにも、東京は幾度も大空襲を受けていた。しかし、3月10日の規模がもっとも大きかったので、通常はこの日の空襲を「東京大空襲」と呼ぶらしい。

 下町を狙ったのだから、非戦闘員が対象であったことは確かだ。しかしアメリカは、「町工場が軍需産業の生産拠点」と言って憚らない。

 もっとも、8月6日の広島、8月9日の長崎に原子爆弾を落としたのだから、もはや無差別殺戮になっていたのだろう。

 もはや「戦争」の概念は変わっていたのだ。

 私の生まれ在所も焼夷弾爆撃を受けた。7月19日であった。

 私は、あの戦争を忘れない。日本にもよくないことはあったろう。しかし、アメリカの正義面の前に、何も言えないこの国が歯がゆくてならない。

    この國に雄ごころありや寒椿  鵯 一平

   別館として、写真俳句ブログの「ひよどり草紙」を開いてます。

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「老」について

2011年01月28日 06時40分02秒 | コラム・エッセー

「老」という言葉を考えてみた。

 言うまでもなく、「幼」に対する言葉で、「老」は老いたこと。

「老人」、「老女」、「老骨」、「老妻」、「老嬢」などは、老いた人を表す言葉だ。

 転じて、「老醜」、「老衰」、「老耄」、「老残」、「老眼」など、老いたことによる身体的、精神的な状態を表す言葉に使用されている。仕方がないことだが、どう考えてもマイナスイメージだ。

 一方、更に転じて、「老獪」、「老巧」となれば、永年の経験を巧みに活用するによって得た強かさを表しているようにも感じられる。これとて、あまり褒められた言葉とは言えない。

 言葉の好き嫌いを語ってはいられない。私はすでに「老人」であり、「老骨」であり「老眼」もかなり進んでいる。もちろん、きっと「老残」を晒しているに違いない。

「老」は避けられずに背負っている現実だ。「老獪」では困るが、「老練」とか「老巧」などの術を駆使して、迷惑をかけずに生きたいものだ。

 花や葉を落としても、なお悠々と美しい老い方なないものだろうか。

 たとえば、「老麗」などでもいいのだが。

 先日、次のような句を捻ってみた。

   裸木のこぶ悠々と老いゆけり   鵯 一平 

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